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最新アニメコラム

テレビアニメ番組の各話または全体の批評を、日記より更に突っ込んで書いていきたいと思います。

2003年06月23日

「宇宙のステルヴィア」第6話「まけません」

志麻が出場する合同体育祭のメイン競技「アストロボウル」が始まる、という話。

プログラミング上手の操縦下手のアンバランスさによる愛すべきキャラクター。
描くべき事をはしょってまで体育祭の話をこのタイミングにもってきたのは、
作り手がそんな風に志麻を描こうと徹底していることの現れなのでしょう。
ですが今回の話は流石にこだわりすぎのよう。

志麻の操縦の上達を見せるわけにはいかず、さりとて下手なままで出場するのは変である為、

・練習風景が一切なかった(ケント曰く「練習通りやればいい」は作り手の苦しまぎれ)
・志麻が本科生を差し置いて出場する事、またその経緯に説得力がない
(本科生を描かないのも作り手の苦しまぎれ)
・あやか機に2機がかりでマークして動きを封じた敵チーム機が、志麻機にはマークすらままならなかった
(マークして振り切られると志麻が操縦上手になってしまう為)

などなど、あちこちに無理が現れてます。

フィールドの障害物の位置と、それを反射させるボールの軌道を試合中にプログラムするという、
プログラミング能力の高さの表現としては屈指といえる絶妙なアイデアだっただけに、
無理があり過ぎた今回の展開は残念でした。
変にこだわらず、操縦が上達したきた志麻という設定での今回の話だったら面白かったと思います。

お好み焼き屋ではアリサを挟んだ2つ隣の席に志麻と光太が座っていて、
光太が堂々と「志麻ちゃん」と呼び、アリサが冷やかす。
二人の仲がそれなりに進展していることの表現なのでしょうが、
くどくはなく、表現不足でもなく良い感じにできていたと思います。

脚本:堺三保 絵コンテ:高見明男 演出:長澤剛 作画監督:高見明男

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2003年06月21日

「ガンパレードマーチ」第2話「勝手にしやがれ Going My Way」

前回の実戦で速水と壬生屋の窮地を救った芝村舞が、転校生として5121部隊にやってきた、という話。
作品開始早々、5121部隊初の実戦という展開によって受け手にインパクトを与えた第1話を受け、
主人公速水とヒロイン(?)芝村舞が置かれている環境のみを終始描く、
世界観から主人公周辺、又は「動」から「静」という流れで受け手の興味を引きつつ進む、
作品としてはまずまずの立ち上がりでした。

今回何といっても特筆すべきは、センス良く練り込まれていた台詞群。
主人公をはじめとする5121部隊それぞれの人物描写、人物同志の関係図、生活環境など、
今回は物語を構成する多数の設定要素を主にキャラクターの会話で描いていたのですが、
説明的な台詞が一切なく、どれもが日常描写という流れの中で自然に描かれていたのが秀逸。

なかでも、「子供には関係ないの(瀬戸口→速水)」
「いつでもお姉さんの胸に飛び込んでらっしゃい(原→速水)」「コウロウシャ(ののみ→芝村)」など、
5121部隊が幅広い年齢層によって構成される混成部隊であることから、
キャラクターの年齢の上下をさり気なく受け手に意識させる台詞が印象的でした。

駄菓子屋のお婆さんと速水の会話での、
「怪獣ばやっつけてくれたけ、今年のお盆はちゃんと迎えられるごたあ」というのも、
第1話の内容とあわせて世界観を受け手にイメージさせる絶妙な台詞。
バックの幻獣情報を伝えるテレビ番組の音声もこの台詞に効果を与えています。

また「買い出し当番を決めるジャンケン」「洗面所の一幕」「食堂にあるののみ用の踏み台」
「水を混ぜてシャンプーを最後まで使い切る田辺」などなど
日常描写における生活感が上手く表せていました。

瀬戸口が転入したての芝村をしつこくナンパする際の演出も見どころ。
教室でのナンパシーンでは、「僕はね、君の力になりたいんだ(瀬戸口)」から
会話を盗聴しながらの「あ、私もこれ言われた(森)」という感想に偶然被せるように
「誰にでも言ってるわけじゃないよ(瀬戸口)」が続くところが、
盗聴の事実を知らずに話しているリアルさと、
台詞自体の矛盾によるコメディの両方を演出していて上手いと思いました。

このナンパシーンで流れるBGMにも注目。
クラシックの厳かな曲調はシーンの内容と微妙にズレていて、
それ自体がそこはかとなく面白さを醸し出しているのに加え、
盗聴していた者達の横やりによって中断したBGMが盗聴器の発見したところから再開するのが、
瀬戸口が平静を保とうとするコメディ演出になっていました。

あと芝村の部屋に来たときの加藤のノックの仕方は加藤明るい性格を、
前回の実戦のお礼を促す速水に対して、
「あんなこと(模擬訓練中パートナーを攻撃)をした人に頭を下げるなんて」
という壬生屋の台詞には潔癖な性格を、
それぞれ表現できていたと思います。

今回、主人公の速水以外のキャラ描写が多数ありましたが、
速水が全般にまんべんなく登場させたり、
速水が存在しないところでは他のキャラクターに速水のことを語らせて印象づけることで、
主人公としての存在感が薄くならなかったのは上手い構成でした。
先にも触れたとおり、それらの描写にわざとらしさがないのも良いです。

気になったのは芝村が美人であるということの描写。
歩道橋で速水が思わず振り返ったり、瀬戸口がノートに「うつくしい」と書いたりと、
本作においては芝村がハッとする美人であるように描くつもりのようですが、
本作に登場する女性キャラは美少女揃いのため、芝村が特筆ものの美人というような印象を受けず、
キャラデザインとキャラ設定に違和感を感じます。

台詞でひとつ気になったのは、ののみの「コウロウシャ」という台詞。
意味が分からずおうむ返しした芝村の台詞に対して、
言葉を棒読みしている感じがあまり出ていなかったように思います。

脚本:新宅純一 絵コンテ:別所誠人 演出:高島大輔 作画監督:小澤郁

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2003年06月20日

「D・N・ANGEL」第5話「ダブルクッキング」

大助と梨紗がクラスで二人、調理実習の居残り授業を受けることになるが、変装した梨紅が身代わりで来る、という話。
ダークが全く登場せず、大助は学校についてきたウィズに翻弄されるという番外編的展開。
そっくりな双子が互いの役を演じる「入れ替わり」の嘘臭さ(でも漫画やアニメにはありがち)や、
家庭科教師のキャラ設定が無理矢理なところなど、一見すると乱暴な作りなのですが、
その内容には作品の流れに沿った人物関係やキャラクターの描写が盛り込まれていて、
1話完結のコメディとして楽しめる上に、物語の大筋にも絡んでいるという秀逸な話でした。

今回の話のキーポイントは、
大助(ウィズの変装)が(梨紗に変装した)梨紅に「ダイスキ」というシーン。
気になる存在である大助から、
いつもと違う服装(フリルのエプロン)を「大好き」と言われた(と思い込んだ)ことで、
いつもは着ないかわいいフリル系の服を着てみようと思ってみる、
けなげな乙女心を見せる梨紅というのが一番の見どころです。

居残り授業が家庭科なのは、梨紅に普段着ない系統の服を着せるため。
家庭科教師が男性だったのは、
「エプロン似合ってるぞ」という男性視点の台詞を自然に言わせるためと、
そこから同じ台詞を大助に言わせるため。
一見乱暴にみえた本編の展開は、このキーポイントにたどり着かせる為でした。

家庭科なのに熱血教師という変なキャラ設定だったのは、
加世田先生を厳しい先生にすることで、
実習前の「エプロン忘れたら加世田先生に何言われるか」という生徒の会話を自然に入れ、
肝心の「エプロン似合ってるぞ」という台詞が唐突に感じられないようにするとうい仕掛けです。

そして、キャラ設定を作った上は「キャベツを刻むなビートを刻め」などと、
台詞や立ち居振る舞いを面白おかしく工夫し、
コメディとしても楽しめる形に仕上げていたのは好印象でした。

ラストシーンで、
「私たち(双子だけど)全然似てない」「でも、誰も気づかなかったね」
と、お互いを演じて一日が終わった後の梨紗と梨紅がこぼすところは、
オチとしても秀逸でしたが、
一人の人格として見て欲しいと思う双子ならではのリアルな感情描写で良かったです。

好きな梨紗と二人で居残りを命じられた大助による、
ダークの出現を心配して「うれしいけど困っているところ」や、
柄にもなく部屋にお茶を運んできた梨紗の態度に困惑する梨紅など、
細かいキャラクターの描写による映像も見どころとなっていました。

今回はカットの切り替えも印象的でした。
「学校が火事になれば良かったんだわ(梨紗)」→「家庭科室から漏れる煙」
「大助に変装するウィズ」→「梨紅にかつらを被せる梨紗」
など、コメディ風にテンポよく見せていました。

ひとつ残念なのは、居残りが翌日になっているのが不自然なこと。
梨紗と梨紅が入れ替わりの準備をさせるためという「作り手の都合」なのですが、
今日居残り→先生に急用ができたので明日に変更
という形にすれば簡単に不自然さが回避できたと思います。

脚本:中 弘子 絵コンテ:開本菜織 演出:広嶋秀樹 作画監督:おおのつとむ

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2003年06月18日

「ボンバーマンジェッターズ」第31話「ミスティ大作戦」

「泥棒と宇宙盗賊はどうちがうの?」

花の香りがする納豆を巡るジェッターズ、ヒゲヒゲ団、ミスティの争奪戦を回想する、という話。
サブタイトルが示す通り、今回の本筋はミスティが回想するマイティとの思い出。
一見すると過去のエピソードが単に順を追って流れているだけに見えますが、
よく見るとバーディ(マイティ)視点とミスティ視点という二つの視点の切り替えがあることに気づきます。
使わなくなったジェッターズのコンテナ船と意識不明のMAXという、
共に修理(治療)中の状態を眺めるバーディとミスティの回想という形から本編に入ることで、
異なる視点でのシーンのつなぎ合わせを受け手にことさら意識させることなく
一本の話として見せていたのが上手い作り方でした。

今回は、主にミスティ視点での生前(?)のマイティの姿が大きな見どころ。
バーディとのやりとりでは真面目なジェッターズの一員ぶりを見せる一方、
ミスティに対しては天然ボケキャラぶりを発揮する、という描き方が面白いです。

これまでの話によるシロボンの回想から見たときの天然ボケっぽいマイティの姿は、
てっきりシロボンの年齢に合わせた接し方だからであり、
普段は真面目な性格の人だと思っていました。
もっともキャラクターの整合性はとれているので、
私の今までのマイティのイメージは兄を美化するシロボンと同じ視点へと、
作り手の意図により誘導されていたのかと感じました。

また回想シーンのマイティはミスティ視点というフィルターで美化された映像ということ。
これが今回の話における演出上のひとつのポイントでしたが、
マイティのアップの表情や台詞のカットの前後に
必ず「ミスティがマイティの方を振り返る(見る)」というカットを入れることでミスティ視点が強調され、
ミスティによる美化、即ちミスティがマイティに惚れているということを上手く表現していました。

マイティ役の演技も好印象。
真面目なところ、天然ボケなところ、
そして何気ない一言でミスティの心を惹きつける天然プレイボーイぶりの演技が絶妙で、
ミスティがマイティに惹きつけられていることに説得力を増していたと思います。
また落とし穴からの脱出を急ぐミスティに対する
「さすがミスティ…えへっえへっ」というマイティの笑い方には、
シロボンの面影が出ていたように感じられました。

映像で印象的だったのはマイティがミスティの耳をさわるシーン。
耳をさわってることを示す「いい耳してるね」の台詞の直後に
マイティのアップ、ミスティのアップ、ミスティの後ろから見たミスティの耳を触るマイティ、
という止め絵の3カットを無音で切り替えることで、
時間の流れがストップしていることが良く伝わってきます。
冒頭の惑星効果シーンもそうですが、
本作では複数の止め絵を連続的に切り替えていく映像表現が秀逸だと思います。

ひとつ気になったのは、
ミスティが意識不明のMAXを前にマイティを連想、
即ちMAXにマイティの面影を見るということの説得力が感じられなかったこと。
シロボンの場合はこれまでの話できちんと描かれていましたがミスティのは記憶にありません。
いくつか私の見損ねた回があるので、そこで描かれていたのかも。

脚本:吉田玲子 絵コンテ:小寺勝之 演出:宍上坪亮樹 作画監督:あべたくじ

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2003年06月17日

「成恵の世界」第3話「二人の秘密基地」

成恵が和人の家に遊びに来る、という話。
「アニメの作り手側にとっての商業的見地による上客とは
DVDなどの高価な関連商品を買ってくれる受け手。
そういう上客である受け手を揶揄するようなシーンを描くことは、
上客という存在に対しての冒涜でありタブーである」
たぶん考えすぎでしょうが、本編を見ているとそういう邪念が頭をよぎります。

さて本編ですが、
「カチューシャ型の『転送コネクタ』で行きたいところがあればどこでも行ける」
という下校中の会話から、ふと和人の家に行くという導入。
欲をいえば、本編のような唐突な展開ではなくて、
和人の家に行きたいと成恵の感情が膨らんでいく様を丁寧に描けば更に面白かったと思いますが、
つきあってる彼氏の家に行きたいというのは至極もっともな欲求であり、
多少の唐突さはあってもまずまず自然な流れではあったと思います。

今回の話の前半部分だけの和人の家のシーンにおいては、
初めて彼女を連れてきたことで舞い上がりつつも興味津々な母の描写、
パソコンモニターのエッチな壁紙を成恵に見つけられて慌てる和人、
パソコンのOSが立ち上がる静けさのなかで見つめ合って照れる二人、
スクリーンセーバーの画像をプリントアウトしてもらって喜ぶ成恵などなど、
自分の部屋という「初めての二人きりの空間」による初々しさやドキドキ感はよく出ていたと思います。

部屋に度々乱入してくる母や姉に対して「いいわね、にぎやかで」とほのぼのしたところで前半終了。
後半は「話すことがない」と弱っている和人の描写で始まるのは、CMを使った上手い間の取り方。
二人きりの会話が途切れていたたまれなくなるのもリアルな描写で、
作り手がこの局面をどう打開するのかに期待が高まったのですが、
いくらなんでもアニメDVDを見せるというのはどうだったでしょうか。

形としては第2話の和人そっちのけでゲーセンで遊んでいた成恵と逆、という構図だったのですが、
人生14年目にして、ようやく彼女が出来た男の子の行動にしては軽率で嘘臭いです。
きれい事で言えば、アニメファン(オタク)であろうと差別すべきではないのですが、
流石に今の現実からすると、そのような正義は夢物語にすぎません。
しかも、和人の見ていたのが名作モノ等ではなく極めてオタクくさい美少女戦士モノ(魔法少女四号ちゃん)
とあってはフォローの利かせようもありません。

てっきり「アニメ=オタク」という現実世界からの鉄槌が和人に下されるのかと思いきや、
当の成恵は「こんなの何度も見てんの?」「本当に好きなんだね」
と冷ややかさはあるものの言葉少な目の弱いツッコミを入れただけでした。
そして、直後成恵が和人を「二人の秘密基地」に連れていくという、
まるで気にしてないとでも言わんばかりの展開でした。

アニメファン=オタク視をタブーとするのなら、
和人が成恵にアニメを見せる展開にしなければよいだけのことです。
現実的に考えてもアニメではなく、トランプゲームやテレビゲームをするのが自然な展開のはずです。
そこを敢えて本編の展開にしたのですから、
「こんなのどこが面白いのかさっぱり分からない」くらいの台詞を成恵に言わせるか、
せめて「女性週刊誌の立ち読みが趣味でも気にしない、と言ってくれてるんだし」
と成恵の心のなかで自戒させることくらいはして欲しかったです。

この作品は、恋人の二人が互いの異なる価値観を「好き」という感情で乗りこえていくことを、
地球人の彼氏と宇宙人の彼女という形に置き換えて描いた「正統派ラブコメ」かと期待したのですが、
今回の本編に限り、天然ボケの二人がつきあってるだけにしか見えないのです。
それとも「オタクの僕にも、こんな都合の良い彼女ができる」と上客を癒す作品なのでしょうか。

脚本:杉谷祐 絵コンテ・演出:宍戸淳 作画監督:柳野龍男

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「宇宙のステルヴィア」第4話「がんばります」その3

「お汁粉に塩いれたりするよね。ああいう感じかな。」

・押しつけがましいBGM
そして何といっても本作の雰囲気をぶちこわしているのがこれ。
「ビアンカを暴走させるとき」「レンズ磨きをはじめるとき」「掃除機を暴走させるとき」など、
志麻のドジな行動を描いているシーンにBGMの押しつけがましさが顕著に現れています。
要するにコミカルなシーンということを強調したいのでしょうが、
映像だけで演出意図を十分果たせていることろにあからさまにコミカルなBGMを被せるのは、
くどく過ぎて逆に嫌らしく感じさせていました。
BGMの音量の大きさが更に拍車をかけています。

・光太が操縦法のたとえに持ち出した「お汁粉」の唐突さと意味不明さ
たとえを用いた作り手の一番の目的は、
実習終了後の志麻とアリサとの会話において、
志麻と光太にしか分からない言葉で上手く操縦できた理由を志麻に語らせること。
演出意図としては悪くないのですが、たとえ話は誰でも簡単に思いつけるために、
いい加減にやってしまうと安直さだけが際だってしまいます。

本編の場合、「情報の隙間は脳が埋めてる感じ=お汁粉に塩を入れる」がまず意味不明。
おそらく、お汁粉に塩を入れると隠し味である甘くない塩によって脳が甘さを強く感じる
ということを意図しているのでしょうが、
そういう説明がなく一足飛びなたとえになったために意味不明になってしまいました。

またここでの一番の問題は「お汁粉」というたとえを持ち出すという説得力が、
受け手に与えられていないということです。
「光太は甘いものが好き」という伏線さえ入れておけばいいのに、それがないということは、
この演出が今回の作り手の単なるスタンドプレーだったということを意味しています。

・予め志麻の地上訓練を調べる配慮を見せたレイラの描写がいい加減
実習終了後の志麻に対するレイラは表向き説教しつつも、
わざわざ地上訓練のデータを調べていたという「生徒に対する先生の思いやり」を見せます。
上司であるカール・ヒュッターに叱咤されたレイラが、
志麻のデータについて詳しく調べているカットが実習終了後の一幕の伏線として入るなど
今回の話においてはレイラの行動がもうひとつのストーリーラインになっています。
これもストーリーとしては良かったのですが、肝心の伏線のはり方がいい加減でした。

本編では退学という過去の経験を語るやよいの長い台詞のなかに
志麻について調べるレイラ先生のカットが挿入されています。
作り手としては、やよいの「レイラ先生に助けてもらった」という台詞に被せることで、
間接的にレイラ先生の生徒に対する思いやりを強調したつもりなのでしょうが、
志麻とやよいの会話は志麻のストーリーラインとしての重要度が高く、時間そのものも長かったために、
その会話のなかのわずか数秒挿入されるレイラ先生のカットでは、
レイラ先生が自分のプライドをもかけて志麻について詳しく調べているというストーリーが伝わりません。

また、このレイラ先生の描写では薄すぎるということを承知なのか、
実習開始の場面では「志麻の入学がリチャードの推薦付き」
ということを推薦状らしき画像をモニターで見ながら呟くレイラ先生のカットが入っています。
これも初心者を相手に実習開始という本来緊張感がより高くなるべきシーンとしてはリアリティがなく、
他に入れるところがないので無理矢理挿入したという感じです。
レイラ先生のストーリーラインは時間をとってもっときっちり描くべきだったと思います。

・まとめ
今回の話を見ていると、
その場その場のシーンにおいて上手く見せようということに作り手がこだわりすぎていて、
肝心の話そのものをおかしくしている本末転倒な演出だったと思いました。

脚本:大河内一楼 絵コンテ・演出:角田一樹 作画監督:前田明寿

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2003年06月16日

「宇宙のステルヴィア」第4話「がんばります」その2

・バストアップからアップへの無意味なカット転換
罰当番に励む志麻を遠くで眺めるアリサ・やよい・晶の3人という一幕における、
先に退散したアリサとやよいの後に続こうとする晶が去り際に「ファイト」と呟くシーンがそれ。
バストアップからアップに切り替える(或いはズームアップする)のは、
受け手をそのキャラクターにより注目させるためですが、
本編の場合、バストアップの晶の顔の大きさがアップのものと変わらなかったために、
ぎこちなくカットが切り替わってるような印象を与えてしまいます。

・「ついてない」という台詞が志麻のキャラクターにあっていない
あやかに対して志麻が罰登板という状況を嘆いた台詞ですが、
頑張りやのはずの志麻が言う台詞として極めて不自然ですし、
先輩であるあやかに対して言う台詞としても変です。
これが親友のアリサについうっかりこぼしてしまったというのならまだ分かるのですが。
演出意図は本編の通り、試練めいた厳しい一言で志麻を打ちのめすあやかの台詞の呼び水。
ですがキャラクターをねじ曲げてしまっては作り手のご都合主義が露見するだけです。

・あやかの「(志麻が)ステルヴィアを降りるかもしれない」という台詞が唐突
受け手としては、うっかりするとふんふん頷いてしまいかねませんが、これも不自然な台詞。
本作において「降りるかもしれない」というのがあるとしたら、
志麻本人か志麻の様子をつぶさに見ることのできる受け手による視点でしかなく、
ほんの二三やりとりしただけのあやかに、それだけのことが言える説得力はありません。
それ以前に、ここまでの経緯で志麻にステルヴィアを降りるという気配が微塵もありません。
一度ステルヴィアを退学していたやよいの過去話につなげようという、
これまた作り手のご都合主義でした。

・志麻の吹っ切れ方が嘘
再度の実習でも上手くいかなくてあせる志麻は、
木魚の効果音にあわせて「光太のアドバイスの実践」をひらめきます。
しかし、自分が信じているやり方を覆すのにああいうひらめき方はありえません。
「光太のアドバイス」を志麻の吹っ切れに生かすというのであれば、
「光太の言う方法が上手くいくとはとても信じられない…。けど、思い切ってやってみよう」
というようなちょっとした葛藤を間に挟めば自然な形になったと思います。
ついでにいうと木魚の効果音も面白く見せようのが露骨で嫌らしいです。
(その3につづく)

脚本:大河内一楼 絵コンテ・演出:角田一樹 作画監督:前田明寿

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2003年06月13日

「宇宙のステルヴィア」第4話「がんばります」その1

「しーぽん!今助けるよー!! おりゃー!」

オーバビスマシン「ビアンカ」による実習訓練でどうしても上手く操縦できずに悩み苦しむ志麻、という話。
情報を処理しきれずにマシンを暴走させてしまう志麻というのは、第2話でも見せたこともあり自然な展開。
自機を教官機に衝突させてしまうというトラブルを引き起こしたことで落ち込む志麻に対して、
冷たく厳しいあやか、志麻の立場を心配する友人達、経験上の貴重なアドバイスをするやよい、教官達、
といった志麻を取り巻く面々の描写に加え、
前回プログラミングに関してアドバイスしてあげた光太から逆に教えられるという本編は、
成長を描く学園青春ものとして話自体悪くなかったと思います。

しかし、今回は演出上のアラが一際多く見られて楽しむどころではないというのが正直な印象。

・光太機は志麻機と対照的に描こうとしているようだが上手くいっていない
飛行訓練においては、
上手く操縦できていない志麻機、志麻を助けようと試みるも思うように動けないアリサ機、上手に操縦できている光太機、
という3つの特徴的な描写がありました。

このとき障害物を上手く回避しつつ飛んでいるやよい機と同一のカットに光太機が入り込んでくるのですが、
直線的に飛んでいる機が2機並んで入ってくるために、
この瞬間受け手は特定のキャラ描写ではなく全景の描写だと錯覚してしまいます。

加えて、この光太機が飛行する映像の時間が短すぎること、
操縦席の光太の様子に動きと台詞が全くなかったこと、
光太の操縦席のカットにおける下からのズームインが無意味なこと、
しかもバストアップの時間が無意味に長く、直後の目のアップが無意味だったことなども作用して、
「光太=操縦上手」という構図が伝わりにくくなっています。

ひょっとして、さり気なく上手いということを表現したいのかと思いきや、
直後、今度は光太の目のアップから志麻の目のアップへと、カット転換が行われています。
ここでの志麻の混乱ぶりに至ると「志麻=操縦下手、光太=操縦上手」の対照的描写という意図はハッキリ分かりますが、
光太の目のアップになる意味が全くないために、
対照的であることを作り手が主張したいがための露骨な演出に過ぎなくなっています。
さり気なくでもなく、しかも分かりにくいという訳の分からない一幕でした。

・主任教授たちがレイラと白銀の会話に割って入ってくることがミエミエ
このシーンでは、談話室のような場所にいるレイラに呼びかけながら入ってくる白銀のカットが最初にあって、
カウンターにいるレイラの横に白銀が並んで座り、
主任教授たちがいるテーブルを写しながらレイラと白銀の会話がはじまるわけですが、
これではいかにも主任教授が途中で話に割って入りますと言わんばかりで、
その通りに展開する本編に気分が萎えてしまいます。
呼びかける白銀のアップの直後に、
白銀の視点でのレイラと脇にチラッと見える主任教授を一瞬入れておくだけで伏線として十分だと思います。

脚本:大河内一楼 絵コンテ・演出:角田一樹 作画監督:前田明寿

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2003年06月12日

「ボンバーマンジェッターズ」第30話「カレーと王子様」

「カレー、スゥキスゥキスゥキ!!!」

喉に刺さったトゲトゲが抜けなくなったドドンパ星の国王である父のために、ボンゴが「宇宙にひとつしかないのど飴」を探す、という話。

冒頭のシーンでは、
盗み食いするシロボン、タッパーを用意するシャウト、落ちるところまで落ちる(鍋扱い)ガングなど、
ジェッターズの全員のキャラを生かしつつのコメディ演出で面白かったのですが、
タイトル以降は、まるで別の人が作ったかのよう。

本編自体はボンゴを主役に据えるという着想から、
彼が立て役者となった「サンライズサンダーボム」を見せ場にもってきて、
その必殺技を効果的に出せる舞台として「水のあるオアシス」を用意。
一方「宇宙にひとつ〜」を探す必然として困っているボンゴの家族を登場させる。
登場させるからには面白くということで全員ボンゴとそっくりさんな一家を、
という風に作っていったのだと思われます。

ですが「カレーが大好きなドドンパ星人」「実は王子だったという真相」などが唐突で、
あからさまにでっちあげた印象が大き過ぎたがために、
話全体があざとく感じさせる作りになってしまいました。ゆえに捻ったサブタイトルも逆効果。

執事ダンゴの登場で一度そっくりネタをやっているのに、
家族紹介のところで同じことを繰り返すのも間延びするだけです。
敢えて家族を出すなら、ボンゴは家を捨てたので会うことはしないが「のど飴探し」は引き受ける、
という形にしておいて最後にサラリと登場させるなどの方が幾らかましだったと思います。

それでもどうにか見られるのは人物が生き生きと描かれているところが大きいです。
「カレー、スキスキスキ!」「(自分のフルネームを)ボキも言えないボンゴ」「(気品の気の字もないと言われて)いや〜照れるボンゴ」
などなど今回主役となったボンゴの表情・演技が絶妙に決まっていて、
ボンゴのキャラクターの魅力が一層増したのが大収穫といえると思います。

脚本:まさきひろ 絵コンテ:小寺勝之 演出:菊池康仁 作画監督:吉川美貴

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2003年06月11日

「出撃マシンロボレスキュー!」第16話「ケンのレスキュー魂!」

土砂災害で取り残された山の診療所から街の病院へ搬送しようとした患者の一人は、美波ケンが嫌がった骨髄移植の相手だった、という話。
予防接種で注射を痛がるエースとそれを見ていて同じように痛がる太陽達の描写がギャグになっていて、
冒頭から笑わせます。
しかも、このギャグ描写との中心だったエースと、注射をサボった挙げ句ドナーを嫌がって逃げ出そうとするケンが、
越境コンビを組むという、それ自体が見どころとなる異例の展開にすることで、
話の核心となる「ケン=ドナー、ひさし少年=レシピエント」という構図を隠す効果をもたせていて、
この辺りの話の組み立て方は上手いと思いました。

今回主役となる美波ケンはハーフの美少年。
感情によって男言葉と女言葉を使い分ける彼は、
芦川ショウと漫才コンビを組むひょうきんさを見せる一方、自分勝手でいい加減なところがあり、
それでいて人命救助の際は猪突猛進な熱血漢に変わるという性格。
メンバーの中ではどちらかというと脇役的存在なのですが、
設定されているキャラクターは太陽ら主役に勝とも劣らないほど魅力的だと思います。

今回は、そのケンの魅力を伝えるべき展開だったのですが、それが出来ていたかというと大いに疑問。
まず骨髄移植を嫌がる思考が悪い方(?)へ発展、隊を脱走という行動にでる展開が無理矢理過ぎます。

要はあまり仕事熱心でないところがあることを見せればいいわけですから、
むしろケンの自分勝手な性格の方を生かして、
「注射の日は洋服を新調(買い物)に行くつもりでサボろうとしていて、
しかも骨髄移植手術の日は女優である母の舞台かなにかを新調した服を着て見に行く予定だった」
といった個人的な用事を優先して任務にサボろうとしている事にして、不満たらたら嫌々ながら任地に赴く形。
これもかなり無理矢理ですが、除隊ほどの不自然さはなかったのではないでしょうか。

そうしておいていざ現地に着いた後は「仕事はきちんとこなす」というところを見せれば
キャラクターの設定にも合っていたと思います。
この例だとケンの女の子っぽいところもアピールすることができます。

そして一番問題だったのは、周りが火の海という窮地に自分がドナーだと知って生還を決意するところ。
人命のためなら自分の命の絶望さえひっくり返すという正に「ケンのレスキュー魂」だったわけですが、
こちらは逆に自分勝手さやいい加減なところばかり強調された本編が悪影響して、
そのケンの姿がやはり唐突で素直に感動することができませんでした。

直前のシーンでケンが自分をさておいてひさし少年を救出するところがありますが、
元々がレスキューという仕事だけに、このシーンだけではケンのレスキュー魂の説得力としては弱すぎました。
ケンがひさし少年と語りあうシーンなどを設けて、
いざレスキューにかかったら熱血漢に豹変というケンの魂がにじみ出るような演出をして欲しかったです。
もしくはいっそのこと、今回は自分勝手な性格だけで押し通す形でレスキューするという方法も考えられます。

振り返ってみるとエースの役どころ(とケンとジェイの絡みも)描く必然性とはいえ、
ファイヤーロボ対ステルスロボの時間が余計だったように思います。
第12話「笑いは世界を救う!」のように敵キャラとの戦いは短くすれば良かったのではないでしょうか。

脚本:吉田伸 絵コンテ・演出:福本潔 作画監督:榎本勝紀

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2003年06月10日

「妄想科学シリーズ ワンダバスタイル」第2話「H2CO3にカンパイ!」

#見せるためだけに何本もスパークリングワインを持ってくる博士…@モモチ

炭酸ガスの圧力放出を推進力にして月面を目指す、という話。
例えば漫才がそうなんですが、面白いネタで人を笑わせるとき笑わせる本人は笑いません。
たとえ面白いネタであっても、笑いながらやったり、
「今から面白いことを言います」と前置きしたりとかすると台無し。
本作はその台無しを徹底的にやってしまった作品だといえます。

炭酸ガス放出で宇宙を目指すという馬鹿らしさも、その際の燃料投入シーンもネタとしては申し分ないのに、
前者は建設風景などのロケット発射までに至る経緯を示すシーンが端折られ、
後者はネタそのものが十分ギャグとして成立しているのに、
ラムネ業者やお婆さんが直接投入するというしつこいギャグ描写で秀逸なネタを台無しにしています。
正に作り手自身が笑いながら作っている、
或いは笑いを押しつけているといった印象が強すぎて全く笑えません。

ロケット発射に至るまでの経緯を真面目にキッチリ描き、
燃料投入は先にシステマチックな感じで描いてから、その背後に本編の業者の姿を見せる、
という演出にすれば本編のものより遥かに面白くなったと思います。
本作は脚本の秀逸さを絵コンテ・演出・監督が駄目にしているのが明らかで、
脚本がかわいそうだと思いました。

ついでにいうと情けない声でしゃべる九十九博士の演技も押しつけがましく感じます。
正真正銘真面目な演技をさせた方が、その真面目さとのギャップで笑えるはずです。

BGMに加えてキク8号の裸を何か(人・モノで)隠すというギャグ演出により、
本作の作り手が映画「オースティン・パワーズ」を意識しているということがハッキリしました。
しかし、キャラクターの方が動いて障害物にタイミング良く入り込むことで隠し、
かつ隠すモノが性器を暗喩していることでも面白さを演出している映画に比べると、
説得力のないマネージャーの頭の動きで隠す本作の描写は安っぽすぎて笑えません。

キク8号による回想で、タンポポの種子が空に舞うなか九十九博士がキク8号に語るところは、
本人の真面目さと現実の価値観とのギャップで笑える形になったましたし、
「原チャリ」が真面目な声でキク8号地上落下の被害を語るところも同様。こちらはテンポも良かったです。
九十九博士の五寸釘もネタ・テンポともに面白かったのですが、声が…。

脚本:滝晃一 絵コンテ:高本宣弘 演出:久保太郎 作画監督:藤井まき

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2003年06月08日

「宇宙のステルヴィア」第3話「ごめんなさい」

「あ〜っ!!」

志麻の部屋で勉強会が催されるが、ステルヴィアのメインサーバーへ不正にアクセスしたことでトラブルに、と言う話。
宿題の見せあいをきっかけにした勉強会と、
トラブル解決のためにメインサーバーの端末に直接出向くという二部構成。
前半では、入学から時を経て志麻の周りに友達グループができて楽しい学生生活を送っていることと、
志麻の勉強ができること、プログラミング能力の高さを、
後半では、ステルヴィア艦内と「ビッグフォー」の顔見せを描いていて、飽きさせない作りでした。

勉強会のシーンでは、
かたや宴会モード、かたや隅で勉強している構図に、学生の集まりっぽい雰囲気がでていました。
志麻のプログラミング能力の高さを示す個々のシーンも、
映像が緻密に描かれていたのと、的確に説明する志麻の台詞とで上手く表現できていたと思います。

志麻がメインサーバーへの不正アクセス行為を事も無げに行うところは、
事の重大性を省みない間の抜けた部分と妙に落ち着いている部分の表現により、
愛すべきキャラクターという感じがにじみでていて良かったです。

「ビッグフォー」は変わり者ばかりという紹介のされ方で、
本編にどう生かされるのかはともかく印象に残る初登場でだったとは思います。
細かいことですが、笙人が自分で「修行」と言ってしまうのは演出としてどうだったでしょうか。
本編2度目の遭遇シーンとなったあやか寮長に「また修行?」と言わせているので十分だと思いました。

話全体的には、詰め込み過ぎで展開が強引だったような気がします。
勉強会からパーティ(?)に変わるところも「ぬいぐるみや被りものが出てきたから」
という本編のような唐突さではなくて、勉強に飽きてきた感じを出してみても良かったと思いますし、
艦内案内はもっと丁寧に詳しく描写して欲しかったです。

端末のキーを誤って押してしまうシーンが2回ありましたが、
最初の勉強会の方はともかくメインサーバー前で押してしまうのは、
2度も同じ失敗を繰り返すのに加え、
事の重大さを理解している上での行為としてはご都合主義に感じられました。

あと一番の問題は、今回描かれた志麻の能力の高さが既成事実化してしまっていることです。
前回の実習訓練におけるビアンカの暴走で見せた志麻の能力の高さは「いかにして?」というところを
今回描いてこそ、キャラクターの深みが増すというものではないかと思うのですが。

脚本:堺三保 絵コンテ:佐藤竜雄 演出:安東信悦 作画監督:佐藤淳

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2003年06月06日

「ストラトス・フォー」第13話「FINAL APPROACH」

第七オービタルステーションにたどりついた美風達が香鈴を救出。直後、巨大隕石の迎撃任務につく、という話。

その1

静羽の資格マニアなキャラ設定は、
今回やむを得ず巨大隕石迎撃任務につく際のやりとりにおける
「資格とってないけど本当にいいのかなぁ?(静羽)」や
「まだ試験通ってないからこのエンブレムはおあずけね(静羽)」「ま、仮免ってことで(美風)」
という台詞を言わせるためのものでした。

また香鈴の計算能力の高さも、
今回における、アクシデントであわや迎撃失敗というところで、
迎撃任務続行を決断、その決め手となる「いけるよ」「届くよ」という台詞のため。
どちらもシリーズ中にきっちり伏線がはられており、
作り込みの細かさで受け手を唸らせる演出でした。

本編の方は、基地到着→感染者に応戦→香鈴の救出、そして隕石迎撃任務で大きな山場を迎えるという、
まるで映画を見ているかのような息もつかせぬ展開で楽しませました。
ここで注目したいのは、第12話同様、
「人類(地球)の危機」を煽るという、危機感による話の盛り上げ方をしていないところ。

今回あったのは下地島基地に軟禁状態の如月教官の説明と御厨ランの短い一言だけで、
司令代行を務めた久保千鶴をはじめ、第七オービタルステーションでは口にされていません。

とはいえ巨大隕石襲来による危機そのものは事実としてしっかり描いており、
香鈴の救出劇、美風が香鈴に手をさしのべて友情を確かめ合う一幕などと合わせると、
隕石迎撃任務の大きな山場を迎えた受け手は、
マクロ視点による「人類の危機」という状況を理解しつつも、
「人類の危機が回避できるかどうか」という緊張感ではなく、
純粋に主人公の美風達の動向に感情移入するという不思議な感覚を楽しむことができます。

即ち本作品は、
コメットブラスターを主人公の美風達の目標として見せておきながら、
サクセスストーリーという安易な物語構築とは違う別の方法によってそこに到達させる事を目的しており、
その方法こそが今回の緊急事態というわけでした。

主人公の美風達をコメットブラスターの任務につかせ、
かつ彼女達を危機的状況に追い込むための道具として人類を危機に陥れるという逆転の発想をした上で、
そこへの疑問の余地に気づく暇を与えない細かい作り込みを行い、
最終的には美風達の友情と青春という等身大の人間描写に帰結させたところが凄いと思いました。

その2

個々のシーンで一番印象的だったのは、冒頭の香鈴のモノローグ。
父の死の以後、何も感じなくなった香鈴が、
一緒にいたい人が出来たことで再び現れた恐怖感を吐露するものだったのですが、
香鈴の視点による、のっぺらぼうな人の姿を回想として続けておいてから、
美風を遠目に見る香鈴の姿を描くことで、
美風が香鈴の大事な人であることを、直接的な台詞を一切入れずに説明していて上手いと思いました。

これ以上接近すると爆発に巻き込まれるという状況における美風の
「そう…(迎撃の為にこのまま接近して)いい?」に対する香鈴の「ちょっとやだ」という台詞。
「絶対嫌」という全否定ではなく、もちろん肯定でもない。
そこには、人類の危機を救うという大義ではなく自分達の為の行動の結果として人類が救われる
という等身大の人間描写が集約されていて、
なんでもないようでいて実は本作屈指の名台詞ではないかと思いました。

ちょっとしたところでは、輸送用の機体でステーションに向かう途中のシーン。
美風が機内の狭苦しさへの不満を口にするところに、ブースターの切り離しのカットが続きます。
絵の構図・動き・音・タイミング・話の流れを絶妙に組み合わせて、間抜けな雰囲気を演出していました。
作り手の笑いのセンスの高さを感じさせます。

今回残念だったところは、美風達が美春司令と対峙するシーン。
はじかれた自分の指輪が視界に入り美春司令が放心状態になったことで、
美風たちが感染させられそうになるピンチを脱出するという演出だったのですが、
この演出が成立するための説得力がありませんでした。

美春司令=佐古主任の妻と一目で分かるところまではいいとしても、
指輪が彼女の物であること、また彼女の心理に影響を与える物であることということを、
美風が瞬時に理解するというのは無理がありました。
指輪に名前が書いてあるとか、指輪の形をちょっと変わったものにするとかして、
美春司令の指輪であることを瞬時に分かる説得力をもたせた上で、
美春司令には佐古主任に未練がないことを直接的な言葉で美風に語る
という一幕を入れれば良かったと思います。

あと、細かいところで気になった事を3つ。
オービタルステーションに到着した際に宇宙遊泳でおどける美風の描写が羽目を外しすぎに見えてしまう事。
岩崎教官の「お前達の空だ」は真面目で誠実なキャラにはあってましたが、蛇足気味だった事。
そして、やっぱりデフォルメは無かった方が良いと感じられた事です。

改めて作品全体を見渡しますと、
各話における個々のシーンでの演出が、伏線というつながりの線で網の目のように張り巡らせてあり、
各話毎に一週間隔てられてしまうのが実にもったいないと思ってしまえるほど、
作品としての完成度の高さを感じさせられました。
全話通しで鑑賞すると5時間25分。7月末に一度やってみたいと思ってます。

最後に訂正。前回(第12話)のコラムで、
種子島基地にたどりつくための「美風&静羽の『逃避行』」の為に作られたのではありませんでした。
第11話に続き、またしても「してやられた」という心地よい敗北感を与えられました。

脚本:高山カツヒコ 絵コンテ:増井壮一 演出:山田弘和 作画監督:山内則康・桜井正明

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2003年06月03日

「妄想科学シリーズ ワンダバスタイル」第1話「プロジェクト始動」

デビュー直前のアイドルグループ「みっくすJUICE」の4人が、九十九博士の月面着陸挑戦プロジェクトに参加する、という話。

アイドルグループを組んで再起を図ろうとする売れない歌手4人が、
その立場の弱さゆえに月面着陸挑戦という怪しげなプロジェクトに参加させられつつも、
月面上でのコンサートを夢見るという設定は面白くなりそうな予感を抱かせます。

今回は、キャラクターのプロフィールを描きつつプロジェクト参加に至るまでを描いていたのですが、
「キャラ萌え」を意識していためか尺が余ったためか(或いはその両方)、
テンポが悪い上に時間の流れの通りにダラダラ進行する展開で、
全体的に間延びしていて面白くなかったです。

象徴的だったのが感情と動作があっていないキク8号の描写で、
キビキビした台詞で映像ももう少しテンポよくした方が面白かったと思います。

唯一面白かったのは路上で宣伝するフォーク歌手のシーンでしたが、妖精ネタで台無しに。
キャラクター設定と台詞で十分楽しめたのに、
余計な要素を入れてしまうのは作り手の自信のなさの現れでしょうか。

時間の流れの通りにダラダラ進行するのではなくて回想の形で進行した方が良かったのでは。
例えば「突然ですが私たち4人はアイドルなのに月面着陸に挑戦することになりました」などと言わせつつ、
九十九博士の下に集合するところを冒頭にもってきて、
九十九博士のところで一人一人キャラ紹介しつつ、
回想の形で本編の冒頭〜集合するまでを描いた方がメリハリがついたと思います。

時代背景は60年代後半から70年代前半(昭和40年代)頃ということで、
同時代の世相に加えてサイケデリックな要素をとり入れているにも関わらず、
全体的な色調が極めて淡いのはいかがなものでしょう。
「みっくすJUICE」を強調したいという「キャラ萌え」意識の影響なのでしょうが、
そのような作り手のご都合主義が伺えてしまうのは印象良くないです。

脚本:滝晃一 絵コンテ・演出:高本宣弘 作画監督:原将治

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2003年06月02日

「宇宙のステルヴィア」第2話「とまどい」

「宇宙のステルヴィア」第2話

全話の評価★★★★☆

宇宙学園の入学式・オリエンテーション(講義のお試し期間)を経て、予科生としての学習がはじまる、という話。

慌ただしいオリエンテーションを過ごしつつ学内で友人が増えていく前半と、
オーバビスマシン「ビアンカ」による初の宇宙実習に挑むと後半の二部構成。

事実上の第1話というべき話で、
展開そのものは時間を追って丁寧に進んでいくため、
新しい生活に入ったばかりの、まだまだ不慣れながらも意欲に燃える志麻の様子が
分かりやすく描写されていました。

アバンタイトル(オープニング前)のナレーションに加え、
入学式の演説という自然な形で世界観を説明していたのは好印象。

宇宙実習用のスーツに着替えるところで、
志麻がプロポーションを気にして嫌がるちょっとした一幕はいかにも萌え演出でしたが、
他の女子生徒に加え男子生徒にも同様の者がいたというところは工夫していて面白かったです。
男子生徒の着替えシーンがあれば尚一層面白くなったと思います。

実習開始の際の緊張感がなく慣れた様子、ビアンカでいち早く教官の前に集合、レイラ教官の「流石だな」、
志麻やアリサと対象的に先輩の前でも着席したまま。
これら意味あり気に描かれた藤沢やよいの描写は、今後のひとつの伏線として注目したいところ。

演技の方で印象的だったのは、志麻の緊張をしずめるときのレイラ教官の「大丈夫?」という台詞。
サラッと質問しつつも生徒である志麻のことを気づかっている感じが出ていて良かったです。

ひとつ残念だったのは、
今回は新しい生活に慣れきってない志麻の様子を強調した全編コミカルなトーンだったために、
第1話とのつながりが希薄に感じられたこと。

むしろ前半は世界観の描写、即ち宇宙学園やステルヴィアの役割を描いてその重要性を強調した方が、
家族との別れを描いた第1話が生かされることになったと思いました。
本編の演出では第1話が存在する必要がなく、
秀逸な別れのシーンだった第1話がもったいないとさえ感じました。

脚本:佐藤竜雄 絵コンテ・演出:中津環 作画監督:相坂直紀

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更新:上記参照 作成:2003-05-29 文責:ごま(goma)
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