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アニメコラム集「フルーツバスケット」

各話

第十七話・・・
第十八話・・・
第十九話・・・
第二十話・・・
第二十一話・・・
第二十二話・・・
第二十三話・・・
第二十四話・・・
第二十五話・・・
最終話・・・

第十七話・・・

放映日2001年11月1日

正にアニメならではという演出で楽しませる一方で、
テーマである「人」についての描写が説教くさくて浮いてしまってる感じがする
「フルーツバスケット」。
細かい部分にツッコミたいところは今回もいくつか(掲示板参照)あったが、
今回はテーマ的なところも非常によくまとまっていたと思う。
特に「いじめ」の描き方がすごくリアルで(先生の対応とか)、
キャラクターの心理描写や台詞が心にまで響いてくる感じがした
(これまで、そういうのが無かったということの方が作品的には問題なのだが)。

強いて難をあげれば、クライマックスで透とキサと抱きしめあうシーンで、
キサが喋るというところ。あれは性急で少しやり過ぎだと思った。
予感させるくらいで充分ではなかったか。

とはいえ、これまでに比べれば非常にいいできだったので、
今後もこういう感じで仕上がってくれるといいなと思う。

第十八話・・・

放映日2001年11月8日

画面をビデオカメラ風に表現するのが話のほとんどの部分占めていた。
それ自体は悪くない試みではあったが、
いかんせんやり過ぎでくどくなってしまっていた。
作品の雰囲気がぶちこわしになってると感じた。

アイデアをふるうのは結構だが、
それによって作品本来の良さを壊してしまっては本末転倒ではないか。
特にこの作品ではオープニングからエンディングまでを含めて、
独特の雰囲気を作り上げており、
これまでの話でせっかくコツコツと築き上げたイメージまでをも
壊してしまっているようで残念であった。
もう少しビデオカメラ風の画面を減らしてメリハリをつけると同時に、
作品本来の雰囲気を残す、といった形にしていれば印象も変わったと思う。

今回の他のアイデアにしても、
白いテロップといい、実写取り込み、構図の取り方、効果音(曲)の入れ方などなど、
なんだかガイナックスの作品を見ているような錯覚におちいった。
何でもかんでもそのように既存の作品に置き換えてしまうような捉え方は、
演出の枠を狭めてしまうことになる危険があり気をつけねばならないが、
作品固有の雰囲気・良さを失ってしまっているのだから、
そういわれても仕方ないだろう。

咲ちゃんの家の描写でCGを使うところは、
2Dとの画面切り替えがスムーズにいっていて違和感なく見られた。
あと、由希くんをあしらった小物を画面手前に写しているところは、
カメラのように焦点をぼかしてあって普通に写すより面白いと思った。

第十八話・・・其の弐

作品的にこの回の話全体をよく見渡してみると、
咲や由希の内面的描写を、
親衛隊を通じて行うという作りになるのが本来の目的であったはずで、
草摩の人(今回は特に由希)と咲との関係が希薄であったこれまでから変わって
咲が由希のことを理解するというのが今回のその目的であったはずである。
以前、墓参りを通じて由希や夾が咲とありさの理解を深めた、
というのと逆の構図といえる。
であるにも関わらず今回の話では、
親衛隊からの視点に比重を置きすぎたため、
この本来の目的から外れてしまい、
咲の不気味さに親衛隊が右往左往するという単なるギャグ話になってしまっている。
先に書いたように、今回親衛隊がらみで奇抜な演出が多用されているが、
これでは演出のための演出という感じで
「見せられる」方はたまったものではない。
もっとも演出技法そのものが楽しめさえすれば作品などどうでもよい、
というおかしな見方をする、
というか作品そのものの意義・本質を理解できてない人にはそれでもいいのかもしれないが。
個人的に言わせてもらえば、そういうのは原作付きアニメではなくて、
オリジナル作品を作ってそっちで勝手にやっていただければいいと思う次第。

第十九話・・・

放映日2001年11月15日

透がテストで赤点をとった。
「高校をきちんと卒業する」という亡き母との約束にも関わらず、
この結果に透は落ち込む。
そして下校時透は倒れてしまうが、
実は風邪をひいていた・・。

前回とは売って変わってのオーソドックスな印象・・
というより、それを通り越して極端に平板な感じがします。
正面の構図が多く構図の変化に乏しいことや、
動きが少ないこと(動画枚数が足りないんでしょうか)
が原因なのではないでしょうか。
効果音やBGM、CGの使い方などなど他の演出要素は
いつも通りよくできているのに、
絵コンテや作画だけがそれについていってないように思います。
そのせいもあってかギャグの切れ味もイマイチです。

ストーリーとしては、これは原作通りなのでしょうが、
赤点をとるというのがいかにも「漫画じゃあるまいし」という感じで嘘っぽいです。
作る側には都合がいいとは思いますが、
むしろ作る側としてはハンデととらえて
より一層演出面で奮起しなければならないのではないでしょうか。

これまでの「演出で見せる」という面白さに乏しい回ではありましたが、
透が倒れるときの視線(夾の背中)や夾の想像(洗濯ものを干す透)
などのCGの使い方、
夾と由希のケンカに使われるドラムを
(ニラ)畑の前で苦悩する夾の心理描写に使うなどの効果音の使い方、
などなどの演出要素は良かったと思います。

第二十話・・・

放映日2001年11月22日

またまた紫呉の家に遊びにきた綾女。
綾女の仕事のことについて話を聞いているうちに、
由希はついに綾女の理解を進めることの第一歩として、
綾女の店に行くことを決心する。
そして日曜日。店を訪れた透と由希だが・・。

う〜ん。なんとも評価に困る回でしたね。
綾女のキャラクターと、それに翻弄される由希と透という構図で、
楽しめたのは楽しめたのですが、
作りの方がどうだったか・・。

まず気になったのはカットのつなぎ。
今まではアイキャッチを挟んだり、空などの風景をはさんだりして、
いい感じでシーンがつないでいたのですが、
今回はカットを次々に切り替えるという構成になっています。
おそらく確信的にやったのだと思いますが、
それが原作により忠実にするためのものなのか、違う理由なのかは分かりませんが、
さしたる効果を得てないような気がします。

それと女将が何回か出てくるのも、分かっててやっているのでしょうが、
やはり無意味でかつ無駄であるように思います。
別に夾くんが必ず出なくてはならないというものでもないでしょうし、
ああいうシーンに時間を費やすのなら、
由希と綾女の心理描写をもっと増やしてもよかったのではないでしょうか。
そもそも女将のキャラクターメイクと演技は度々の出場に耐える力量に足りないと思います。

綾女のキャラクターメイクと演技がよくできていることと、
綾女と、彼に翻弄される由希と透の描写がこなれているので、
これだけでも楽しめるのが救いでしょうか。
最初の方にあったズームに使ったCGや、
BGMも含めた効果音などの良さは健在なのも良かったです。

個人的には、綾女のキャラクターと、それとの絡みで楽しめましたので良しとしたいですが、
作りを重視するのであれば低い評価、という風になるかと思います。

( update:2001年11月19日 )

( 更新:2001年11月12日 文責:ごま )
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