『ぴたテン』第10話〜第17話 ごまの「アニメ批評日記」fromアニメ討論室

ごまの「アニメ批評日記」

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第10話 〜 第17話 : 第18話 〜 第27話

08.04 第18話「バカンスのすごし方」

御手洗家のプライベートビーチにみんなで泳ぎに行く、という話。
ビーチを楽しむみんなの姿を徹頭徹尾描くという、本当にただそれだけ。
美紗が御手洗の泳ぎのコーチ。紫亜が紫外線に弱いため一人日陰で休むという状況によって、
湖太郎と小星、綾小路と薫という組み合わせの二人っきりで時間がすぎるという、
通常あまり見られない状況だったのが救いでした。というかそれが見せたかったのでしょうか。

08.04 第17話「休日の楽しみ方」

映画館に行ったことのない美紗と紫亜を連れて、みんなで映画を見に行く、という話。
最初は5人同じ映画の予定が、紫亜と美紗の趣味嗜好の違いで別の映画を見ることに。
自然に二人きりになることにより綾小路にとって美味しい展開を作ると共に、
その展開によって綾小路の好きだけど強く押しはしないという性格も表せてます。
また別々の舞台にすることで美紗のはた迷惑な行動と、それに翻弄される湖太郎も平行して描き、
綾小路と紫亜に乱入してくる薫に後から合流するという筋道の立った組立で、
ストレスなく、まあまあ楽しめました。
怖がってた紫亜がみんなを守るために薫と対決する様子は一貫性がある言動で良かったです。
それにしてもニャーの想定以上の暴走とはいえ、
映画館を壊しまくる展開は救いがなくて見ていて引いてしまいます。
もう少しなんとかならなかったものでしょうか。
最後の御手洗家貸し切りの描写にも、御手洗家が映画館を修復するカットを入れて欲しいところです。

07.21 第16話「下界の歩き方」

美紗の姉、早紗が遊びにきての一騒動、という話。
早紗という、美紗よりはまともな天使としての存在を使い、
美紗と紫亜が一緒に暮らしているという「異常」な状況を浮き彫りにすることで、
コメディとして楽しめる話が仕上がったと思います。
悪魔側のまともな存在であるニャーと早紗との争いにまわりを巻き込むことで、
ダメ天使の美紗、ダメ悪魔の紫亜というキャラクターが強調。
それぞれのキャラが立ちました。
この争いの巻き添えを食った湖太郎たち、
サッカーで活躍して、転んで・・仲良くなったり、悪くなったり・・
という描写が、作画枚数でのチープさまで笑いに結びつける、
コメディとしての理想の形に(ようやくですが)なったと思います。
あと冒頭の早紗登場シーン。姿より先に出る台詞が姉とすぐ分かるところもちょっとしたポイント。
早紗の魔法の数々も、美紗にしてこの姉ありという少し間の抜けた感じが出てて良かったです。
ただし枯れた花を咲いた状態に戻す魔法は効果が直接的すぎ。
美紗や早紗ら「天使」の魔法らしくなくマイナスでした。

07.16 第15話「遊園地の遊び方」

湖太郎が従姉妹の紫乃を預かることになったが何か訳あり、という話。
紫乃が真相を立ち聞き→行方不明。そこへ遅れてやってきた御手洗が、
紫亜の悪魔仕事の犠牲者となって振り回された挙げ句に飛ばされたところが、
紫乃のいたところ・・という筋立ては悪くなかったのでしょうが、
脚本から先の仕事がそれを全然生かせてませんでした。
象に投げ飛ばされて星になるという「お約束」の描写を使うあたり、センスが感じられません。
紫乃の今後の心配を過剰にあおっておいて、健康診断の結果問題ナシというオチは、
ご都合主義的に過ぎる気もしますが、
筋立てはしっかりしてましたし、今までとの比較ではかなり良い出来のお話だったと思います。
作画は、バランスはとれてましたけれど、
線が少なくてひどくチープに見えてしまいます。

07.10 第14話「しあわせの感じ方」

試験中の湖太郎に対し、天使試験の為により一層しあわせにする事に燃える美紗、という話。
今回の話は、物語の重要な転機ということでしょうか。
これまで「湖太郎をしあわせにする」と連呼し、役立たずぶりを発揮していた美紗は、
実は「しあわせ」という事の意味すら理解してなかったという衝撃の事実が明らかになります。
これで作品の方向性がつかめてきました。
「しあわせにする」という美紗の、その意味を理解するところから描くことによって、
「しあわせとは何か」という作品のテーマを描くつもりなのでしょう。
ここまでの役立たずぶりは最後まで続き、最後に美紗は「しあわせ」を知ることで成長。
湖太郎は何らかの形でしあわせを得ることができ、こちらも成長するという
今後の展開が見えてきました。
そのテーマやテーマの掲げ方は決して悪くないと思います。
ただ、「意味を知らなかった」ことが湖太郎(たち)には分からなかったのはともかく、
視聴者にも分からなかったのが演出として大失敗でした。
湖太郎の心理描写の乏しさとあわせて、
ここまで物語としての見所を見いだせなかった原因だったと思います。
今回のお話では、しあわせについて湖太郎と美紗の屋上で語り合うところから、
テストの結果がでる日のオチまでは見所でした。
湖太郎の台詞に「らしさ」が出てましたし、
オチのシーンでの字幕の使い方、効果音の使い方はセンスがありました。
ただ、それにつながる紫亜が肉まんを手渡すシーンで、
「ひとりじゃ食べきれない」とか「もっていって差し上げたら」という台詞には、
著しいセンスの欠落が感じられて萎えました。
あと、差し入れの肉まんに対する感想や、自分が屋上にいることを知っていたことに対する美紗の疑問など、
明らかに、なすべき事をなしていないのも減点材料。

06.30 第13話「お城の歩き方」

学校のグループ課題を御手洗の豪邸内でする、という話。
綾小路が来訪を拒否されて、みんなが何もしないという反応も、
綾小路が意地なるという反応も、それぞれのキャラクターらしくなくて変。
クライマックスの先祖代々の部屋という描写も感じるところがないです。
全体的に相変わらずメリハリがなくて楽しみどころがつかめません。
強いて挙げれば妹の手引きで綾小路が来訪できたくだりが少し面白かったです。
演出次第でもっともっと面白くできたとは思いますが。

06.26 第12話「ガラクタの集め方」

ガラクタ市に売り手として参加しようとする湖太郎のために、美紗が無茶苦茶する、という話。
紫亜に好意を寄せはじめた綾小路が、美紗の起こした騒ぎを紫亜の仕業と勘違いする、
という演出意図は評価できますけど、
本編の描写では「美紗のドタバタ話」なのか「綾小路の話」なのか焦点が定まってない感じです。
それより今回、一番ガックリきたのはOP前の湖太郎の台詞。
「一番びっくりなのは、そんな凄いことになっても僕たちの日常はたいして変化しないことだった」。
いや、そうじゃなくて。
それは「そんな凄いこと」に対する君たちの思考・言動があまりに無関心・無感動なだけだからだよ、
と思わずツッコミを入れてしまいました。つまりは本来作られるべきものが無いというだけ。
この台詞を入れたスタッフ(又は原作者)は、「これが本作ならではの面白さ」と、
してやったりなどと思っているのでしょうか。とんでもない話です。
オチも、魔法(?)で出したガラクタを一瞬で消すというご都合主義的展開。
これでは、心に伝わる話が作れるはずもありません。

06.22 第11話「素敵なダンスの誘い方」

紫亜のことが気になって仕方がない綾小路が成績不振、という話。
毎度のことながら、悪いところばかりが目立つ本作。
まず単調な構図で工夫のない絵コンテ。
本作はとにかく客観的な絵コンテに終始していますが、
何を見せたいのかという作り手の主張が全く感じられず、逆効果となってます。
音の面でも同様。青汁のシーンなどは音を工夫すればもっと盛り上げられるはず。
一番の見どころである紫亜と綾小路のダンスシーンでも、
それらの工夫が見られないばかりか、動きも乏しく興ざめです。
シナリオ的にも、晴れ間が見えたところで何故シーンを切るのかも不明。
せっかくの見せ場だったのに勿体なかったです。

06.14 第10話「上手な仲直りの仕方」

大事にしていたマグカップを美紗が割ってしまい、美紗を冷たく突き放す湖太郎が、
接着剤で美紗と身体がくっついて離れないというトラブルを経て仲直りする、という話。
というかそれだけ。ホントにそれだけでした。
展開的には寝ている最中、健気にマグカップを直している美紗に気づいた湖太郎が、
自分の心の醜さに気づいて仲直りする、ということなんですが、
あの演出でのこの解釈はあくまでも「好意的な解釈」というもので、
相も変わらぬ心理描写の乏しさにより単なるルーチンワークと化していました。
だいたい、マグカップにどんな思い出があったのかさえ説明してないというのはどういう事でしょう?
絵は比較的美しかった方だと思います。
今回キャラのタッチが、いつもの下膨れというか妙に横長な顔ではなかったのが 個人的には好印象です。
湖太郎と美紗が馬のSEと共に走るシーンや猫が動くところなど、
動きの面では良かったのではないかと思います。

( 文責:ごま )
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