「ちょびっツ」ごまの「アニメ批評日記」fromアニメ討論室

ごまの「アニメ批評日記」

「ちょびっツ」

第10話 〜 第17話 : 第18話 〜 第26話
更新:2002-10-22

10.22 第26話「ちぃ だけの人」

ちぃが秀樹のために自ら身を引く選択をして、という話。
真っ先に気になったのはティタ&ジーマの存在を、最終回の本編を進行させつつ残り1話でどう処理するかでしたが、
「ちぃの暴走を阻止する」という使命だけを明かして傍観者に徹するというものでした。
ここまできたらこれが最善の策でしょう。ちぃ&秀樹に重点を置くには仕方のないことだと思います。
さて本編はちぃが突如「自分は秀樹のためになにもしてあげられない」と自ら身をひいて消滅する、という展開。
「人間」として未熟な存在のちぃが、相手のために自滅するという人間的な思考をする矛盾はさておくとしても、
その考えに至るための説得力が全くないのが疑問。
新保、清水、稔、裕美、植田といった影響を与えそうな人物たちから、そのような考えに至らしめる要素が全く見いだせません。
一方の秀樹の方も、親代わりといった存在から恋愛感情への変化に説得力なし。
その後、若い未亡人でなければ共感を得られるはずのない、おかしな行動原理の日比谷を傍らに、
ちぃを失った秀樹の絶叫、絵本の映像世界でのちぃとフレイヤの問答(自問自答?)、
というシュールな世界を展開。余談ですが世界観の異なる「最終兵器彼女」の最終回と似たような展開です。
いっそ、このまま「やっぱり人は人を好きになるべき」などと身も蓋もない末路を迎えれば、
と思ったのですが流石に作り手にそんな度胸はなかったようで、
「奇跡」が起こって元通り。めでたしめでたしと相成りました。
物語そのものは陳腐きわまりなかったですが、考えた末での筋立てであることは伝わってきましたし、
絵コンテや構図などの演出部分が工夫されていたこと、そして何より美しい作画があったことで、
最後まで見続けさせる力があったのだと思います。

10.17 第25話「ちぃ 決める」

ちぃについての真相が明らかになりつつあり、それに対する秀樹のちぃへの気持ち、という話。
どうにか真っ当さを保っていた秀樹が、遂にパソコンを愛してしまいそうという変態ロードに足を踏み入れました。
ほんのわずかな希望の糸であった裕美も前回で「片づいて」しまい、予想された展開ではあります。
それにしても、真っ当人間の象徴だった新保が久々登場して正論を吐くかと思いきや、
「清水先生の夫への怒りは、妻以外への執心そのものに対してであり、その相手がパソコンかどうかは関係ない」
などと議論のすり替えを言わせて、変態ロードへのアシストをするのはいかがなものでしょうか。
「なぜ人間ではなくパソコンを愛するのか? 愛することができるのか?」という根本的な疑問の解決が全くなされていません。
さて今回、日比谷さん(管理人)の告白により、ちぃの秘密が少し明らかになりました。
ちぃの製作目的が、出産できない日比谷さんのための子供代わりであり、
他のパソコンよりも明確な疑似人間であったことは救いではありますが、
現実的に考えてみると共感できる理由とは思えません。
せめて現実的な選択が全て不可能だったという理由づけが、ご都合主義でもいいからなされていれば少しは印象も変わったのですが。
それにしても「全てをお話しします(日比谷)」と言ってる割には全然全てではないように思うのですが。
研究施設の環境や、ちぃの詳しい製作過程など語るべき事は他にもあったのではないでしょうか。

10.05 第24話「ちぃ 着てぬぐ」

かつて恋人同士だった事実が明らかになる、裕美と植田がよりを戻す、という話。
これまで幾度か張られていた伏線が効果的で、話にはスッと入っていけます。
さて肝心の本編は、てっきりパソコンとの結婚歴という植田の変態ぶりを知ってしまった裕美が植田を見放した、
という過去だったかと思いきや、パソコンの元妻との能力差にコンプレックスを感じた裕美が飛び出してしまったという真相。
植田への一途さ、パソコンへのコンプレックスという生真面目さを見せる裕美には感じ入ってしまいますが、
作業能力の差という理由でパソコンごときに人間様が見下されてしまうという構図は理解しがたいです。
そんな本編はともかく、
瞬時に動画がダウンロードできる異常な太さの回線を擁しているという描写によるガブ城ヶ崎の秘密、
鳴ってなかった裕美のモバイルパソコンという描写によるちぃの秘密など、伏線的な演出が面白かったです。

09.30 第23話「ちぃ 答える」

ちぃを作った組織に関する情報を稔のパソコン達によるハッキングで探査する、という話。
道具(ちぃ)との絆を深める話が一区切り。
今度はちぃを作った組織に話を向け、作った人間の思いや考えを軸にしてクライマックスに突入する模様。
いずれも「道具の擬人化」というリアリティの欠落に騙されることができないと
楽しめることのできる内容ではないので個人的、というかまともな感性の人間にはどうでもいい話ではあります。
第19話あたりから本作のテーマに沿った流れであることや、
今回、まともな感性の象徴的存在であった新保の引っ越しを冒頭にもってきて、話の転換を強調してるあたり、
シリーズ全体の作りとしては、しっかりしていると思いました。
本編は、既述の通りの「道具の擬人化」。今回は稔の変態ぶりが発揮される陳腐な展開で特筆すべき点はなし。
1つだけ気になったのは自身が壊れることを引き合いに出した柚姫の質問に
「秀樹が喜ぶならする(壊れることも厭わない)」と答えるちぃの無邪気さが、
今後の展開に生かされるかどうかという点。予定調和ではないラストを期待してます。

09.23 第22話「ちぃ 求める」

誘拐されたらしいちぃを秀樹が捜索する、という話。
ドラゴンフライなる人物がちぃの解析をしようとして、ちぃ大ピンチ(実際はピンチではなかったですが)、
という展開は安っぽいヒューマンドラマ突入の序章っぽくてどうでもいいです。
国分寺の推理力・判断力がちぃの居場所を特定するところは見応えありました。
添付画像の地形が全国に12568ヶ所もあるのは嘘っぽかったですが
(パソコンがこれだけ普及している舞台設定から考えれば、ちゃんとした地図でしょうに)。
あと、「君の中に入っていく。君は受け入れるしかない」「あたしだけの人しかさわっちゃダメ」
「あたしだけの人しか中に入れない」など、性的なイメージを喚起させる台詞が多用されていたのは興ざめ。
最後の方で、すももによるパスワード絡みの忠告やおめざ体操をするところは、
シリアスで面白くなくなる本筋に対する救いになっていて良かったです。
他には「管理人が絵本の作者だったことの判明(ハナから丸分かりですが)」や、
ラストのティタ&ジーマ(EDより)という重要な要素が本編にありましたが、 これもおそらくどうでもいいような気がします。

09.09 第21話「ちぃ 待つ」

誰かに連れ去られたちぃを心配する秀樹、という話。
秀樹との会話で、全編「植田の変態ぶり」が披露されるという展開。
ジーンとしたい向きには申し訳ありませんが、全く共感できません。
「所詮パソコンは機械」という新保の台詞が(秀樹にとっての)逆説的な雰囲気で言われるシーンがありましたが、
私に言わせれば「仰る通り。以上」という他ありません。それ以上何も感じません。
内容は変態そのものでしかない長時間の一人語りを嫌味なく聞かせる植田(上田祐司)の演技はすごいと思いました。
今回の話は、SF作家・野尻抱介氏が某コラムに書いた(「ちょびっツ」のことではありませんが)
「メソメソ泣きたがるのは知性が衰弱している証拠」という言葉が、この場合正に言い得てます。
ところで商店街の酒屋のシーンでは、くまいもとこがすももと店主の一人二役になってましたが、
別録りではなかったのでしょうか。気になります。

08.31 第20話「ちぃ いなくなる」

録画失敗・・。

08.27 第19話「ちぃ 手伝う」

秀樹が住むガブ城ヶ崎の大掃除をちぃと共に手伝う、という話。
掃除における、秀樹とちぃといつものユニゾンという動きの面白さの他は、特にこれといった見どころはなし。
すもものコミカルな動きと演技が、作り手の思惑以上に良いアクセントになっているのが救いでしょうか。
ちぃの生みの親が日比谷(管理人)の今は亡き夫であること、
ちぃに何らかの魔の手が迫っていることを日比谷が察知することなど、
作品のテーマになるであろう、今後の展開のキーワードが提示されますが、
CLAMP一流の安っぽいヒューマンドラマ指向が見え隠れするので、個人的には興味なし。

08.21 第18話「稔・柚姫 語る」

総集編、という話。
稔の柚姫への「偏愛」ぶりが今後の展開示唆している他は、まんま総集編。思うところは特になし。

第10話 〜 第17話 : 第18話 〜 第27話
更新:上記記載 作成:2002-08-27 文責:ごま
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