テレビアニメ番組の各話または全体の批評を、日記より更に突っ込んで書いていきたいと思います。
空達が臨時の出演で好評を博した遊園地のアトラクションの契約を得るも、謎の仮面スター出演を強く要請されて、という話。(→公式のあらすじ)
仮面スター登場後のアクションシーンが最大の見どころ。
塔の梯子から落ちそうになる兄妹を救出する前後で全く異なる演出に注目です。
救出する瞬間以前の映像では、手前から奥、奥から手前と奥行きを重視した構図。
スピードのある動きにシリアスなBGM、風を切る効果音で緊迫感を強調しています。
特に空や仮面スターが手前にくる映像では、視点の最前で目の前を横切る動きにボカシを加えて迫力を出していました。
一方、兄妹を救出した後の映像では、真横から見た構図。
優しげなBGM、効果音は加えず、スピード感のない動きや止め絵を美しく決めることで、優雅さを強調していました。
仮面スター登場を兄妹の危機の後にしているのも上手い演出です。
空達や観客、その場の全てのキャラが待ちこがれ、受け手も注目していた仮面スター登場を、
兄妹の危機的状況を先に描いてからにすることで、そのインパクトを抑え、
ラストの「仮面スターの正体は、やっぱりレイラさん以外に考えられない。(中略)いつか仮面なしで一緒にステージに立ちたい」
という空の台詞をより強く受け手に印象づける効果となっていました。
この兄妹の使い方も絶妙。
まず「(違約金により)人生の終わりまであと30分」と落ち込む空達を元気づけ、
より良いステージへとモチベーションを高める役、
そして塔の梯子に昇る行動からくる危機から、空と仮面スターの危険なアクションという緊迫感を演出する役と、
自然な形で見どころを作っていました。
悪い顔が描かれた風船だけを潰す、というミアによるステージ演出も、
ちょっとした一工夫というリアリティと観客を驚かすという二つの目的を両立し、
受け手をも驚かす良いアイデアだと思いました。
あと脇役キャラの使い方の上手さも本作ならでは。
「奥の手」と言って雨乞いをしたり、「(違約金を)一生かけて返すつもりで気持ちを大きくもてば、へっちゃらぽ〜んよ」(この時のエコーの使い方も良い)
というコミカルなサラのキャラクターは過度に深刻にならない要素として機能していましたし、
シャーロットとジュリーによる「(今のカレイドステージが)負けてんじゃん」「(今のカレイドステージは)インチキっぽい〜」
という恐れ知らずな会話がユーリの怒りを間接的に表現しているところなど、随所で唸らせます。
脚本:中瀬理香 絵コンテ:筑紫大介・佐藤順一 演出:筑紫大介 作画監督:金崎貴臣・福島豊明
倒産失業中である仕事一筋三十年の男堂本が、病気の妻に代わって慣れない弁当屋のパートに挑む、という話。(→公式のあらすじ)
原作は高橋留美子。「ビッグコミックオリジナル」掲載の短編漫画のアニメ化。
本作の映像では他の同氏原作のアニメ同様、人物のデフォルメを使うことなく、原作に忠実な絵柄で終始します。
これは原作キャラの絵柄自体がコメディ演出の際のデフォルメ顔を有しているからでもあります。
受け手としては原作をそのまま機械的にアニメ化していると解釈してしてしまいそうになりますが、
よく見るとアニメならではの演出が多数なされていることに気づきます。
特に目につきやすいのは「うさぴょん(うさぎの着ぐるみ)」の描写。
影のつけ方や微妙な瞳の色の変化では中にいる堂本の存在感、感情の違いを表現できていました。
子供に対する両耳間の放電や小生意気な若者を投げ飛ばすときの耳の動きは、アニメならではの怒りの表現。
放電の描写の際、二回目では耳を隠し放電による光として表現しているのもちょっとした上手さを感じさせます。
着ぐるみ(の頭の部分)を脱ぐときの動きと機械音も遊び心があって面白いです。
他にも堂本が弁当屋に入ってくる時、店長らの会話に合わせて鬼の姿から一瞬で元の姿に変化するところ、
富士山が噴火する心情描写の際、背景に東京タワーと同時に出して最初は訳が分からない表現にしているところ、
店長が堂本に「クビだ!」という台詞のエコーの使い方で、心の中の台詞なのに実際の台詞であると受け手を意図的に錯覚させてるところ。
これらも上手い演出だったと思います。
あと作画で重要なのは堂本の笑顔の表現。
最初のぎこちない笑顔から段々穏やかな笑顔への変化が物語の軸となっているのですが、
この笑顔の違いがきっちり表現できていたのが素晴らしいです。
この表現ができていたことにより割と淡泊なオチであるラストシーンが美しく決まっていました。
それから何と言っても声優陣の演技が絶妙なのが楽しめる大きな要因です。
堂本、細田の二人のやりとりに性格の好対照なところがよく表現できていている他、
アッチャラ、パートのおばさんら脇役の演技もリアルな存在感が出ていました。
ナレーションも抑えた感じで出しゃばらず、かつユーモラスな雰囲気を醸し出せていたと思います。
海原雄山やヨミばりの堂本の邪悪な笑い声も印象的。
現在視聴済み11本のなかでは、屈指の出来映えだと思いました。
脚本:中瀬理香 絵コンテ・演出:喜多幡徹 作画監督:とみながまり
南陽学院を牛耳る袁術から下った勅(命令)により、主人公・孫策伯符に闘士が次々と襲いかかる、という話。(→公式のあらすじ)
原作は塩崎雄二。「月刊ComicGUM(ワニブックス刊)」連載中の漫画のアニメ化作品。
「番長モノ」とでもいうのでしょうか、学院の覇権をかけて肉弾戦(ケンカ)を繰り広げるという物語である模様。
中国の歴史書「三国志」に登場する武人の魂を受け継いでいるという要素を盛り込んではいるものの、
今のところは単なる「番長モノ」との差異はなく、今後に注目といったところ
さて本作の見どころは「美少女ハイパーバトル!」と銘打たれている通り、
巨乳(爆乳)の美少女キャラと本格的肉弾戦アクションとの組み合わせによる妙。
テレビアニメの必然である動画枚数的な制約と、動きの多いアクションとの両立は難しいところですが、
本作ではアクション以外の会話シーンを物語進行目的と割り切り、
アクションシーンに枚数を当てて集中的に動かし両立をはかっているようです。
それによりアクションは、驚くべき程なめらかに且つ自然な身体の動きを表現できていて楽しむことができます。
ある種冒険ともいえますが面白い試みだと思います。
また、枚数を稼ぐ目的として、インパクトの瞬間* を一枚絵にするという手法も見られます。
これは渡部高志氏が監督を務めた「スレイヤーズ」でも目立った古くからある手法ですが、
魔法戦とは違う今回のような直接的なアクションに置いては、多用すると動きの乏しさが目立ち印象を悪くするきらいがあります。
この使い方には慎重になった方が良いかと思います。
もう一つの見どころは美少女がアクションすることによる、
パンチラ(パンモロ?)や下着の露出といった所謂サービスシーン。
エロチズムではなく、そのようなカットが頻出することの馬鹿馬鹿しさが笑える、というのが主眼かと思われます。
ただ描き方が少々中途半端な印象。
日常的なシーンで、風などで簡単にスカートがめくれ下着が見えるというのは安直な表現であり、
エロチズムが入っているという風に受け取れてしまいます。
また肉弾戦のところのパンモロも工夫不足で、パンツやブラジャーが見えてしまうのがご都合主義的に感じられます。
一番の原因は背景。キャラクターが割とローアングルなのに背景がそうではない構図なので、
「見えてしまう」というより「(作り手が)見せている」という印象が強くなっています。
おそらくキャラクターの動きでパンモロを表現するところで思考が停止しているのだと思います。
人物と背景を統合的に考えてアングルをきちんと統一すれば、「見えてしまう」という面白さが際立つと思います。
* インパクトの瞬間:拳が相手の身体や地面などにヒットした瞬間のこと
脚本:吉岡たかを 絵コンテ:渡部高志 演出:秋田谷典昭 作画監督:矢上孝一
ドッコイダーこと桜咲鈴雄がお目付役の小鈴に報酬の上乗せを迫る、という話。(→公式のあらすじ)
阿智太郎原作のライトノベル(メディアワークス刊)のアニメ化という本作ですが、
結論から言って全編アニメ作品としての評価は及第点以下。
現在第6話まで視聴済みですが、本話数が本作の不出来を示すその象徴的な一本かと思い、ここで取り上げてみました。
パワードスーツの発注を巡って主人公サイドの玩具メーカーが軍事企業と対抗、
クライアントが差し向ける宇宙犯罪人とは互いに正体を知らぬまま一軒のアパートで共に暮らす、
というのが基本設定。目新しさはさほどでも無いですが、作り方次第で十分盛り上がれそうな設定ではあります。
そして、作画監督が原画を担当した今話数をはじめ各話、作画は丁寧な作り。
なのに完成品はギャグの寒さばかりが際立つものになっています。
その理由は、演出面(※)による原作・脚本から作画・演技への橋渡しができていないからだと思われます。
それが如実に表れているのは、
まず前半、朝食での小遣い値上げ交渉と、後半のアルバイトでの必殺技読み上げ特訓シーン。
どちらも早口台詞が多用されていますが映像の方はというと、
前者ではキャラがフレーム内にいない「OFF」という状態でキャラの表情の変化がなく、
しかも居間のロングショットや宇宙人がちょこまか動くだけ等、台詞との関連性を感じさせない且つ一枚絵に近いチープな映像。
後者ではロングショットの構図でちまちま動くだけの同じくチープな映像。
画面のチープさによる会話の安っぽさを演出しているつもりなのでしょうが、手抜きな印象の方を強く受けます。
せめて鈴雄・小鈴による早口台詞の演技に面白さがでていれば救いもあるのですが、早口台詞では棒読みの域を出ていません。
夜の公園で鈴雄が梅木パパと会話した直後のギャグ演出は更にひどいです。
ここでは「お互いへこたれず、頑張っていこう」「乾杯!」のやりとりの後、
コスモス荘に走っていく鈴雄、小鈴に再度値上げ交渉をする鈴雄と続きます。
交渉の際の「というわけで」という台詞から、この一連の流れには、
小遣いが安くても前向きな姿勢でいることを決意したと思いきや、
小遣い値上げ交渉を頑張るだけの不毛な行動に出たことで受け手を笑わせるという演出が込められています。
しかし、使い回しの「鈴雄がコスモス荘に走る」映像がそのような演出を吹き飛ばしてしまい、
単に脈絡なく最初に使ったのと同じく値上げ交渉に走ってるだけと思わせてしまいます。
またこの使い回しの映像が、公園のシーンを受けた夜の時間ではなく日中になっていたことも公園のシーンとのつながりを断ち切っていました。
使い回しやチープな映像が欠点として際立っている一方で、 「スト貫徹」を「酢・戸・カンペ・チュ」と判じ物(駄洒落)にしているところは、 速すぎて意味を理解する間もなく次のシーンに続いてしまい、置いてけぼりを食わすのも演出として理解に苦しみます。
欠点が際立つ作画ですが、作画そのものは決して悪くなく、むしろ丁寧で好印象です。
しかし何より演出面とのつながりがちぐはぐで楽しめないのは可哀相な程。
魚眼レンズ風の構図の多用や、路上販売でのズームアウトなど、
とにかくギャグ・コメディとして意味をなしてない演出のために作画スタッフがこき使われてる印象です。
楽しめそうな世界観と筋立て、頑張ってる作画スタッフ、まとまりのない演出面、
とシリーズ全体がこのような構図になっていて楽しめそうで楽しめない勿体ない作品というのが現時点での評価です。
救いは、ヒヤシンスやDr.マロンフラワーら中堅ベテラン声優の演技が楽しめる要素であること。
今話数でも、中華料理屋に入る前と後のヒヤシンスの演じ分けや「桔梗屋」ばりのマロンフラワーの高笑いが絶品でした。
あと今回、路上販売に引っかかるサラリーマンの妄想が映像としてキッチリ具現化されていたところは楽しめました。
先の値上げ交渉シーンもこんな感じで演出すれば面白くなったと思います。
(※)受け手としては脚本・絵コンテ・演出のどれに原因が存在するのか知る由もないし、
犯人探しが本意というわけでもないのでこのように表記した。
脚本:佐藤和治 絵コンテ・演出:井之川慎太郎 作画監督:東出太