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アニメコラム 2003年10月05日

テレビアニメ番組の各話または全体の批評を、日記より更に突っ込んで書いていきたいと思います。

*2003.10.05

ボンバーマン ジェッターズ」第45話「ゼロとシロボン」★★★★★

ボン婆さんの策略で「修行の塔」で鉢合わせしたゼロとシロボンがマイティについて語り合う、という話。(→公式のあらすじ

3クール目以降では第31話「ミスティ大作戦」以来、4クール目における屈指の出来映えで、物語・構図の取り方・演出など正に「これぞ本作」といえる一本でした。

第39話から第44話までの演出は

ハッキリ言ってシリーズが山場にさしかかった第39話以降は、
淡々と消化して本筋を先に進めるためだけの作品群に過ぎませんでした。
一見本筋と無関係な話でも重要な要素が散りばめてあって密度が濃かった2クール目までと比べて、
3クール目以降は密度が薄かったように振り返ってみると思えます。
MAXとの激闘を描いた2クール目の最後の方は、
2クールで終了・4クール迄延長のどちらでも破たんを来さないような作りになっていることも、
そのようなことを伺わせます。

またこの間、MAXとゼロが別人という衝撃の事実も明らかになりましたが、この辺りの演出も今ひとつ。
MAXの敗北とゼロとミスティの出会いが同時期だったというのは上手かったですが、
両者の違いが右投げ・左投げの差だけというのは伏線として弱すぎでした。
こういう「だまし」では、受け手は「してやられた」という心地よい敗北感を得るものですが、
本編では「演出がずるい。納得できない」という感情しかもてませんでした。
右投げ・左投げに何らかの理由をもたせるか、別の伏線をもう少し入れるべきだったと思います。

味のある第45話の演出

そんなこんなで迎えた第45話は、
シロボンとゼロとによるハートウォーミングなコメディ的会話が大きな見どころとなっています。
この一連のシーン、
受け手には、ゼロがマイティの記憶と感情をもっていることが分かっていることが前提にあり、
ゼロはシロボンに対してその事実を隠そうとするも随所に綻びを見せ、
その事実を知らないシロボンは鈍感なのか最後まで気づくことがだけできないという会話のギャップを見せます。

「何故、僕(シロボン)の名前を知ってるのか」「食べられないのにガム買ったの?」と問われ真実がバレそうになって焦ったり、
「(兄貴面して)仕切っちゃってさ。〜 (つきあわないと)機嫌悪くなる」などと、
陰口という形で自分への悪口を知らされたゼロが「ボム合戦しよう」といってシロボンをいじめたり、
とゼロの言動や心中に見られる迷走ぶりが実に面白かったです。

また、これらのシーンを面白くした要因として、
ゼロ(マイティ)役の演技が芸達者であったことは本作の批評において第31話でも既に述べた通りですが、
映像における表情のつけ方が素晴らしかったことも見逃せません。
アンドロイドゆえに目や口などの動きで表情を変えることができないゼロですが、
「機嫌がいいとき、回想にひたるときは上向き」「驚いたときはハッと上を向く」「考え込んでるとき、落ち込んでるときは下を向く」など、
その時々の感情に合わせた顔の動きでゼロの表情を上手くつけていました。

細やかなゼロの心情描写

さて、この一連のシーンおいては、ゼロがマイティの記憶と感情をもつ、
即ちゼロがマイティと同一人物であるということによる面白さを出していたわけですが、
一方でゼロとマイティは全くの同一人物ではないという描写があったことにも注目。
シロボンの名前を知っていたことを指摘された会話の「てっきり兄ちゃんに教わったのかと」や、
「(兄さんに)会いたい?」に対する「(兄さんは)死んじゃった」など、
シロボンの台詞によって自分が変わり果ててしまったことのショックを受けるゼロの描写が、 ハートウォーミングななかにさりげない痛々しさの表現になっていました。

コスモガムは当たり付

その他、マイティがコスモガムの包み紙の当たりを星形にしてため込んでるという描写が、
直接的にはシロボンが「ゼロ=マイティ」と気づくきっかけにしているのと同時に、
マイティによる7つ目のボムスターへの執着心の表現を思わせるなど、
今回は全体的に噛めば噛むほど味が出る内容でした。

脚本:吉田玲子 絵コンテ:小寺勝之 演出・上坪亮樹 作画監督:吉川美貴

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作成:2003-10-10 文責:ごま(goma)
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