テレビアニメ番組の各話または全体の批評を、日記より更に突っ込んで書いていきたいと思います。
尚敬高校の文化祭で5121部隊が舞台劇を行う、という話。(→公式のあらすじ)
この作品のすごいところは、一見無関係な各話のエピソードに前後のつながりをきちんともたせていること。
今回は速水と芝村 互いの感情の変化を、文化祭というエピソードにおいて垣間見せるというのがシリーズ上における位置づけであり、
田辺が主役となって進行する今回の本筋は、その為に作られたいわばオマケ。
しかし、そのオマケの本筋をするにあたり、
好きなおかずを落としてしまうことや、おみくじの大吉を見たことがないといった、
前話までの田辺の不運なキャラクターの伏線的描写が生かされています。
また、田辺と芝村が互いの気になる男(?)について会話を交わすシリーズ上の重要なシーンは、
前々回のラストにあった賭けを受けてのもので、
この芝村との会話のために「田辺は遠坂を好き」という設定になっているわけですが、
前回の善行と原による隊員紹介のところで田辺と遠坂が対になるような紹介のされ方をしており、
なんとなく二人を意識させてしまうことで突如表れる恋愛ネタの唐突さを緩和する仕掛けです。
更にこの隊員紹介を経たことで今回出番が多くなる遠坂・来須・若宮のキャラを違和感なく見せる効果にもなっていました。
シリーズ上としての見どころとしては、
速水・芝村の描写の他に舞台劇の物語の扱いが挙げられます。
本作は幻獣と人間が戦ってるという状況を俯瞰して詳しく説明するということはせず、
防戦に務める5121部隊側の心理を徹底して描くことで作品として成立させていますが、
今回においては文化祭に登場する舞台劇を、だまし絵のように描かれる出撃シーンとリンクさせることで、
劇中の物語が本作の世界観を暗喩するという構造をとっています。
映像的にも幻獣との戦闘と劇中の戦闘がだまし絵になっていたり、
PBE起動役と劇中の妖精役でののみが似た役回りを演じるなど、見事な演出という他ありません。
こうした演出のなかにあって時間的にはわずかであった、
速水・芝村の描写や二人のやりとりにも存在感がきっちり出せていたのが良かったです。
特に芝居の稽古中の芝村を前にした速水や、田辺に速水のことを指摘された芝村の狼狽ぶりは、
声が裏返っている演技が絶妙で楽しめるシーンになっていました。
脚本:高山文彦 絵コンテ:山本秀世 演出:水無月弥生 作画監督:石井ゆみこ・増谷三郎
夏祭りの夜にデートを楽しむ和人と成恵をテロリストである宇宙忍者が襲う、という話。
今回の話自体がどうとかよりも、全体としてまとまりのない最終回であり作品だったというのが率直なところ。
確か本作は当初から1クールの作品だったはずですが、とてもそうは思えない内容。
最終回近辺でも第9話「恋する星船」や第11話「小さな結婚式」など、不要なエピソードが目につきます。
星船と宇宙人の恋を描いたこの2本、
おそらく本来は地球人・和人と宇宙人・成恵の関係になぞらえて
何らかの示唆或いは伏線的意味あいを持たせたものなのでしょうが、
第12話との関連性は全くなかったですし、現時点で二人の関係に障害が起こっているわけでもない以上、
本シリーズとして全く無意味なエピソードでした。
肝心の第12話においても謳い文句の「庶民派SFラブコメディ」の態は成しておらず、
とりあえず最終回っぽくしてみましたという感じ。
例えば和人へ「成恵を見捨てたら命を助けてやる」と究極の選択をテロリストに迫らせる等、
まだまだ工夫の余地はあったと思います。
科学力を誇る宇宙人が登場するSF、親子・姉妹・友人など心の交流、異人種との恋愛における障害、そして正統派ラブコメ…、
未見なので推測ですが、原作はこういったいくつもの要素を内包する作品なのでしょう。
しかし本シリーズにおいては、作り手が作りやすいようにそれぞれの要素をつまみ食いして作った志の低い作品に終わってしまいました。実に勿体ないです。
第3話でも指摘しましたが、12話に切り取るのであれば、
「アニメオタクの和人」「宇宙人でケチな成恵」がいかに欠点や価値観の違いを乗り越えて恋愛していくかという、
正統派ラブコメの部分を集中的に描いてこその本作ではなかったでしょうか。
脚本:杉谷祐 絵コンテ:森田浩光 演出:夕澄慶英 作画監督:堺美和
夏休み中の大助の家に、別荘に行く途中の梨沙と梨紅が車の故障で偶然立ち寄る、という話。(→公式のあらすじ)
ダークとキスしてご機嫌の梨沙、目の当たりにして必然的に失恋し気持ちの整理がついていない大助、
そういう事情を全く知らぬがゆえ、何もできないでいる梨紅という三者三様の気持ちを、
大助の家での桧尾を交えた賑やかな集まりの中に散りばめてあるのが見どころ。
賑やかな中、平静を装いつつも心中おだやかでないところが見え隠れする大助、
こういった状況下でのリアルな人間描写がなされていました。
この点では桧尾の使い方は良かったと思います。
ただ大助家では少々キャラが煩雑過ぎて、心情描写で受け手の印象を邪魔しているようにも見えました。
トワの出番は極力無くし、桧尾の出ている時間も減らしてすっきりさせた方が、
クライマックスの夕日のシーン等、大助や梨紅の心情を見てよりしんみりできたと思います。
冒頭、大助との思い出の場所(ペットショップ等)を巡ってみる梨紅や、
失恋の痛手を紛らわすために働きづめする大助という導入部は、
本編で描かれる二人の心情に、より注意を促す演出で好印象。
ただ「何かから気を紛らわすような」というトワの台詞は説明的で安直な演出。
この時の二人の会話に梨沙の肖像画をワンカット入れる、という方法で十分描けたと思います。
コメディ部分では、テンポの取り方が非常に良かったです。
買い物帰りで聞こえたタイムサービスの声に引き返すところ、
荷物を持って欲しいと言われた笑子が逃げるところ、
寝起きの大助が「なんで起こしてくれなかったの?」と言った後、梨沙・梨紅の存在に気づくところ等、
一瞬間を置いてから次の行動に移る描写が面白かったです。
また笑いを指向したシーンで、リアリティに拘らず最良の描写を選択しているところも注目。
ウィズが飲んだ不味い青汁を吐き出すシーンは、
漫画的表現なら「吹き出す」ところをコップにもどすことで面白くしてます。
一方、大助と父の会話を祖父大樹が眺めるシーンは、
アニメ的表現でもあるリアル指向なら目玉を左右に動かすところですが、
こちらは片目開きを左右交互に繰り返す表現になっていて面白いです。
あと、大助と父・小助が朝起きだしてくるとき、腹をかくという親子そっくりな癖をつけているのも、
気づくことができればクスッと笑える、ちょっとした味つけです。
ひとつ気になったのは、桧尾にベッドの中を覗かれようとしているところへ、
テラスから梨紅が注意を引いて大助を救出するところ。
梨紅の叫び声が聞き取りにくく、彼女の行動が最初よく分かりませんでした。
脚本:中弘子 絵コンテ・演出:大槻敦史 作画監督:立田眞一