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ごまの「アニメ批評日記」

『宇宙のステルヴィア』

テレビ東京系で2003年4月2日(水)深夜1時25分より放送のテレビアニメです。

2003.05.27 第1話「ようこそ」

片瀬志麻が家族との別れを悲しみつつも、宇宙ステーションにあるパイロット養成校の入学に向かう、と言う話。

物語の導入部のみにまるまる一話分費やした展開で、具体的な内容はまだ分かりませんが、
今回は離ればなれになることの寂しさを描いた、家族4人による見送りのシーンが印象的。

いわゆる友達親子っぽい娘・志麻と母・千秋のやりとりでは、
互いに表面上は強がりを言い合うも、影では別れの辛さに泣いているという描写。
一方、父・海人と志麻の弟・真人は母と娘両方の心をつなぐように気づかう役どころ。
いかにも親子らしい、似た性格と絆の深さの表現で、別れのシーンがよく描けていたと思います。

特に、母を気づかう父が娘も同じように泣いているだろう事に気づいていて弟を志麻の方に促すところ、
映像的にはちょっとした一コマなのですが、
こういうさり気ない描写に作り込んでいるという印象を受けます。

おそらく今後は、今回の話と直接的には無関係な形で養成校での生活を続けていくものと思われますが、
そのシリーズ中の折々に今回の第1話、即ち家族の絆を喚起させるような描写を入れて、
今回のエピソードが「あってもなくても成立した話」で終わらないことを期待してます。
真人に手渡された金平糖が家族回想の道具立てになりそうだし、
宇宙船に同乗した主任教授に「大事に食べなさい」と意味深に言わせていたので大丈夫でしょう。

「宇宙のステルヴィア」第1話

歓迎会のシーンでは、
会場の設営に手間をかけているのに、ほぼ全員が歓迎飛行に出払うというのが面白かったです。
ただ、この歓迎飛行、BGMもかかって盛り上げようとしているのに、
受け手の印象としてはあまり盛り上がれませんでした。
宇宙飛行機(?)なのに、その出撃・飛行シーンにスピード感や躍動感がなかったことが、
その原因だと思います。
おそらく動きの見やすさ・分かりやすさを重視したのでしょうが、
もう少しスピードにメリハリをつけても良かったかもしれません。

脚本:佐藤竜雄 絵コンテ:佐藤竜雄 演出:うえだしげる 作画監督:うのまこと

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2003.06.02 第2話「とまどい」

「宇宙のステルヴィア」第2話

宇宙学園の入学式・オリエンテーション(講義のお試し期間)を経て、予科生としての学習がはじまる、という話。

慌ただしいオリエンテーションを過ごしつつ学内で友人が増えていく前半と、
オーバビスマシン「ビアンカ」による初の宇宙実習に挑むと後半の二部構成。

事実上の第1話というべき話で、
展開そのものは時間を追って丁寧に進んでいくため、
新しい生活に入ったばかりの、まだまだ不慣れながらも意欲に燃える志麻の様子が
分かりやすく描写されていました。

アバンタイトル(オープニング前)のナレーションに加え、
入学式の演説という自然な形で世界観を説明していたのは好印象。

宇宙実習用のスーツに着替えるところで、
志麻がプロポーションを気にして嫌がるちょっとした一幕はいかにも萌え演出でしたが、
他の女子生徒に加え男子生徒にも同様の者がいたというところは工夫していて面白かったです。
男子生徒の着替えシーンがあれば尚一層面白くなったと思います。

実習開始の際の緊張感がなく慣れた様子、ビアンカでいち早く教官の前に集合、レイラ教官の「流石だな」、
志麻やアリサと対象的に先輩の前でも着席したまま。
これら意味あり気に描かれた藤沢やよいの描写は、今後のひとつの伏線として注目したいところ。

演技の方で印象的だったのは、志麻の緊張をしずめるときのレイラ教官の「大丈夫?」という台詞。
サラッと質問しつつも生徒である志麻のことを気づかっている感じが出ていて良かったです。

ひとつ残念だったのは、
今回は新しい生活に慣れきってない志麻の様子を強調した全編コミカルなトーンだったために、
第1話とのつながりが希薄に感じられたこと。

むしろ前半は世界観の描写、即ち宇宙学園やステルヴィアの役割を描いてその重要性を強調した方が、
家族との別れを描いた第1話が生かされることになったと思いました。
本編の演出では第1話が存在する必要がなく、
秀逸な別れのシーンだった第1話がもったいないとさえ感じました。

脚本:佐藤竜雄 絵コンテ・演出:中津環 作画監督:相坂直紀

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2003.06.08 第3話「ごめんなさい」

「宇宙のステルヴィア」第3話

志麻の部屋で勉強会が催されるが、ステルヴィアのメインサーバーへ不正にアクセスしたことでトラブルに、と言う話。
宿題の見せあいをきっかけにした勉強会と、
トラブル解決のためにメインサーバーの端末に直接出向くという二部構成。
前半では、入学から時を経て志麻の周りに友達グループができて楽しい学生生活を送っていることと、
志麻の勉強ができること、プログラミング能力の高さを、
後半では、ステルヴィア艦内と「ビッグフォー」の顔見せを描いていて、飽きさせない作りでした。

勉強会のシーンでは、
かたや宴会モード、かたや隅で勉強している構図に、学生の集まりっぽい雰囲気がでていました。
志麻のプログラミング能力の高さを示す個々のシーンも、
映像が緻密に描かれていたのと、的確に説明する志麻の台詞とで上手く表現できていたと思います。

志麻がメインサーバーへの不正アクセス行為を事も無げに行うところは、
事の重大性を省みない間の抜けた部分と妙に落ち着いている部分の表現により、
愛すべきキャラクターという感じがにじみでていて良かったです。

「ビッグフォー」は変わり者ばかりという紹介のされ方で、
本編にどう生かされるのかはともかく印象に残る初登場でだったとは思います。
細かいことですが、笙人が自分で「修行」と言ってしまうのは演出としてどうだったでしょうか。
本編2度目の遭遇シーンとなったあやか寮長に「また修行?」と言わせているので十分だと思いました。

話全体的には、詰め込み過ぎで展開が強引だったような気がします。
勉強会からパーティ(?)に変わるところも「ぬいぐるみや被りものが出てきたから」
という本編のような唐突さではなくて、勉強に飽きてきた感じを出してみても良かったと思いますし、
艦内案内はもっと丁寧に詳しく描写して欲しかったです。

端末のキーを誤って押してしまうシーンが2回ありましたが、
最初の勉強会の方はともかくメインサーバー前で押してしまうのは、
2度も同じ失敗を繰り返すのに加え、
事の重大さを理解している上での行為としてはご都合主義に感じられました。

あと一番の問題は、今回描かれた志麻の能力の高さが既成事実化してしまっていることです。
前回の実習訓練におけるビアンカの暴走で見せた志麻の能力の高さは「いかにして?」というところを
今回描いてこそ、キャラクターの深みが増すというものではないかと思うのですが。

脚本:堺三保 絵コンテ:佐藤竜雄 演出:安東信悦 作画監督:佐藤淳

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2003.06.13 第4話「がんばります」

その1

オーバビスマシン「ビアンカ」による実習訓練でどうしても上手く操縦できずに悩み苦しむ志麻、という話。
情報を処理しきれずにマシンを暴走させてしまう志麻というのは、第2話でも見せたこともあり自然な展開。
自機を教官機に衝突させてしまうというトラブルを引き起こしたことで落ち込む志麻に対して、
冷たく厳しいあやか、志麻の立場を心配する友人達、経験上の貴重なアドバイスをするやよい、教官達、
といった志麻を取り巻く面々の描写に加え、
前回プログラミングに関してアドバイスしてあげた光太から逆に教えられるという本編は、
成長を描く学園青春ものとして話自体悪くなかったと思います。

しかし、今回は演出上のアラが一際多く見られて楽しむどころではないというのが正直な印象。

・光太機は志麻機と対照的に描こうとしているようだが上手くいっていない
飛行訓練においては、
上手く操縦できていない志麻機、志麻を助けようと試みるも思うように動けないアリサ機、上手に操縦できている光太機、
という3つの特徴的な描写がありました。

このとき障害物を上手く回避しつつ飛んでいるやよい機と同一のカットに光太機が入り込んでくるのですが、
直線的に飛んでいる機が2機並んで入ってくるために、
この瞬間受け手は特定のキャラ描写ではなく全景の描写だと錯覚してしまいます。

加えて、この光太機が飛行する映像の時間が短すぎること、
操縦席の光太の様子に動きと台詞が全くなかったこと、
光太の操縦席のカットにおける下からのズームインが無意味なこと、
しかもバストアップの時間が無意味に長く、直後の目のアップが無意味だったことなども作用して、
「光太=操縦上手」という構図が伝わりにくくなっています。

ひょっとして、さり気なく上手いということを表現したいのかと思いきや、
直後、今度は光太の目のアップから志麻の目のアップへと、カット転換が行われています。
ここでの志麻の混乱ぶりに至ると「志麻=操縦下手、光太=操縦上手」の対照的描写という意図はハッキリ分かりますが、
光太の目のアップになる意味が全くないために、
対照的であることを作り手が主張したいがための露骨な演出に過ぎなくなっています。
さり気なくでもなく、しかも分かりにくいという訳の分からない一幕でした。

・主任教授たちがレイラと白銀の会話に割って入ってくることがミエミエ
このシーンでは、談話室のような場所にいるレイラに呼びかけながら入ってくる白銀のカットが最初にあって、
カウンターにいるレイラの横に白銀が並んで座り、
主任教授たちがいるテーブルを写しながらレイラと白銀の会話がはじまるわけですが、
これではいかにも主任教授が途中で話に割って入りますと言わんばかりで、
その通りに展開する本編に気分が萎えてしまいます。
呼びかける白銀のアップの直後に、
白銀の視点でのレイラと脇にチラッと見える主任教授を一瞬入れておくだけで伏線として十分だと思います。

「しーぽん!今助けるよー!! おりゃー!」

その2

・バストアップからアップへの無意味なカット転換
罰当番に励む志麻を遠くで眺めるアリサ・やよい・晶の3人という一幕における、
先に退散したアリサとやよいの後に続こうとする晶が去り際に「ファイト」と呟くシーンがそれ。
バストアップからアップに切り替える(或いはズームアップする)のは、
受け手をそのキャラクターにより注目させるためですが、
本編の場合、バストアップの晶の顔の大きさがアップのものと変わらなかったために、
ぎこちなくカットが切り替わってるような印象を与えてしまいます。

・「ついてない」という台詞が志麻のキャラクターにあっていない
あやかに対して志麻が罰登板という状況を嘆いた台詞ですが、
頑張りやのはずの志麻が言う台詞として極めて不自然ですし、
先輩であるあやかに対して言う台詞としても変です。
これが親友のアリサについうっかりこぼしてしまったというのならまだ分かるのですが。
演出意図は本編の通り、試練めいた厳しい一言で志麻を打ちのめすあやかの台詞の呼び水。
ですがキャラクターをねじ曲げてしまっては作り手のご都合主義が露見するだけです。

・あやかの「(志麻が)ステルヴィアを降りるかもしれない」という台詞が唐突
受け手としては、うっかりするとふんふん頷いてしまいかねませんが、これも不自然な台詞。
本作において「降りるかもしれない」というのがあるとしたら、
志麻本人か志麻の様子をつぶさに見ることのできる受け手による視点でしかなく、
ほんの二三やりとりしただけのあやかに、それだけのことが言える説得力はありません。
それ以前に、ここまでの経緯で志麻にステルヴィアを降りるという気配が微塵もありません。
一度ステルヴィアを退学していたやよいの過去話につなげようという、
これまた作り手のご都合主義でした。

・志麻の吹っ切れ方が嘘
再度の実習でも上手くいかなくてあせる志麻は、
木魚の効果音にあわせて「光太のアドバイスの実践」をひらめきます。
しかし、自分が信じているやり方を覆すのにああいうひらめき方はありえません。
「光太のアドバイス」を志麻の吹っ切れに生かすというのであれば、
「光太の言う方法が上手くいくとはとても信じられない…。けど、思い切ってやってみよう」
というようなちょっとした葛藤を間に挟めば自然な形になったと思います。
ついでにいうと木魚の効果音も面白く見せようのが露骨で嫌らしいです。

その3

・押しつけがましいBGM
そして何といっても本作の雰囲気をぶちこわしているのがこれ。
「ビアンカを暴走させるとき」「レンズ磨きをはじめるとき」「掃除機を暴走させるとき」など、
志麻のドジな行動を描いているシーンにBGMの押しつけがましさが顕著に現れています。
要するにコミカルなシーンということを強調したいのでしょうが、
映像だけで演出意図を十分果たせていることろにあからさまにコミカルなBGMを被せるのは、
くどく過ぎて逆に嫌らしく感じさせていました。
BGMの音量の大きさが更に拍車をかけています。

・光太が操縦法のたとえに持ち出した「お汁粉」の唐突さと意味不明さ
たとえを用いた作り手の一番の目的は、
実習終了後の志麻とアリサとの会話において、
志麻と光太にしか分からない言葉で上手く操縦できた理由を志麻に語らせること。
演出意図としては悪くないのですが、たとえ話は誰でも簡単に思いつけるために、
いい加減にやってしまうと安直さだけが際だってしまいます。

本編の場合、「情報の隙間は脳が埋めてる感じ=お汁粉に塩を入れる」がまず意味不明。
おそらく、お汁粉に塩を入れると隠し味である甘くない塩によって脳が甘さを強く感じる
ということを意図しているのでしょうが、
そういう説明がなく一足飛びなたとえになったために意味不明になってしまいました。

またここでの一番の問題は「お汁粉」というたとえを持ち出すという説得力が、
受け手に与えられていないということです。
「光太は甘いものが好き」という伏線さえ入れておけばいいのに、それがないということは、
この演出が今回の作り手の単なるスタンドプレーだったということを意味しています。

「お汁粉に塩いれたりするよね。ああいう感じかな。」

・予め志麻の地上訓練を調べる配慮を見せたレイラの描写がいい加減
実習終了後の志麻に対するレイラは表向き説教しつつも、
わざわざ地上訓練のデータを調べていたという「生徒に対する先生の思いやり」を見せます。
上司であるカール・ヒュッターに叱咤されたレイラが、
志麻のデータについて詳しく調べているカットが実習終了後の一幕の伏線として入るなど
今回の話においてはレイラの行動がもうひとつのストーリーラインになっています。
これもストーリーとしては良かったのですが、肝心の伏線のはり方がいい加減でした。

本編では退学という過去の経験を語るやよいの長い台詞のなかに
志麻について調べるレイラ先生のカットが挿入されています。
作り手としては、やよいの「レイラ先生に助けてもらった」という台詞に被せることで、
間接的にレイラ先生の生徒に対する思いやりを強調したつもりなのでしょうが、
志麻とやよいの会話は志麻のストーリーラインとしての重要度が高く、時間そのものも長かったために、
その会話のなかのわずか数秒挿入されるレイラ先生のカットでは、
レイラ先生が自分のプライドをもかけて志麻について詳しく調べているというストーリーが伝わりません。

また、このレイラ先生の描写では薄すぎるということを承知なのか、
実習開始の場面では「志麻の入学がリチャードの推薦付き」
ということを推薦状らしき画像をモニターで見ながら呟くレイラ先生のカットが入っています。
これも初心者を相手に実習開始という本来緊張感がより高くなるべきシーンとしてはリアリティがなく、
他に入れるところがないので無理矢理挿入したという感じです。
レイラ先生のストーリーラインは時間をとってもっときっちり描くべきだったと思います。

・まとめ
今回の話を見ていると、
その場その場のシーンにおいて上手く見せようということに作り手がこだわりすぎていて、
肝心の話そのものをおかしくしている本末転倒な演出だったと思いました。

脚本:大河内一楼 絵コンテ・演出:角田一樹 作画監督:前田明寿

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2003.06.19 第5話「きっかけ」

ファウンデーション対抗の合同体育祭を前に、士気高揚を兼ねて予科生から「アストロボウル」競技の出場選抜会が開かれる、という話。
実習や授業風景がまともに描かれたのは「第4話のみ」という状況でのシリーズ序盤の第5話。
「そこそこ操縦できるようになりました」と経過をはしょってまで
今回の話が来る必然性が理解できません。
志麻たち予科生の授業風景はもとより、志麻たちの寮生活、余暇の過ごし方、
本科生の授業の様子、人類におけるファンウンデーションの位置づけ、
ステルヴィア内の様子などなど、描写すべきことは山ほどあると思います。

ビアンカのCG映像はなかなか楽しめるものですが、
今回最大の山場である「ゴール前で志麻機があやか機を交わすところ」は
止め絵にした効果がありませんでした。

良かったのは前回同様、志麻と光太が秘密の場所で相談しているシーン。
級友として知り合って、話数を経るごとに互いに打ち解けていく感じが
上手く表現できていると思います。

脚本:千葉克彦 絵コンテ・演出:鈴木利正 作画監督:高橋晃

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2003.06.23 第6話「まけません」

志麻が出場する合同体育祭のメイン競技「アストロボウル」が始まる、という話。

プログラミング上手の操縦下手のアンバランスさによる愛すべきキャラクター。
描くべき事をはしょってまで体育祭の話をこのタイミングにもってきたのは、
作り手がそんな風に志麻を描こうと徹底していることの現れなのでしょう。
ですが今回の話は流石にこだわりすぎのよう。

志麻の操縦の上達を見せるわけにはいかず、さりとて下手なままで出場するのは変である為、

・練習風景が一切なかった(ケント曰く「練習通りやればいい」は作り手の苦しまぎれ)
・志麻が本科生を差し置いて出場する事、またその経緯に説得力がない
(本科生を描かないのも作り手の苦しまぎれ)
・あやか機に2機がかりでマークして動きを封じた敵チーム機が、志麻機にはマークすらままならなかった
(マークして振り切られると志麻が操縦上手になってしまう為)

などなど、あちこちに無理が現れてます。

フィールドの障害物の位置と、それを反射させるボールの軌道を試合中にプログラムするという、
プログラミング能力の高さの表現としては屈指といえる絶妙なアイデアだっただけに、
無理があり過ぎた今回の展開は残念でした。
変にこだわらず、操縦が上達したきた志麻という設定での今回の話だったら面白かったと思います。

お好み焼き屋ではアリサを挟んだ2つ隣の席に志麻と光太が座っていて、
光太が堂々と「志麻ちゃん」と呼び、アリサが冷やかす。
二人の仲がそれなりに進展していることの表現なのでしょうが、
くどくはなく、表現不足でもなく良い感じにできていたと思います。

脚本:堺三保 絵コンテ:高見明男 演出:長澤剛 作画監督:高見明男

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2003.06.28 第7話「くやしいよ」

「はっはっはっ、なるほど、微妙な時間だ。」

一対一の対戦形式でのビアンカの実習で、志麻がやよい、そして本科生のあやかと対戦する、という話。(→公式のあらすじ

見せたいシーンだけ作って後は何も考えずにつなぎ合わせた、いわばダイジェストですが、
いくらなんでも酷すぎる作りで、ダイジェストというよりは、
「読書好きの小学生が作品に感化されて初めて挑戦した創作のようなもの」というべきレベル。

志麻、やよい、あやかの三者が絡んでの対戦による三者の心情、
主に志麻のそれが一応今回最大のみどころなのですが…

冒頭、もはや本作の十八番ともいえる
経緯省略による「既成事実化」で志麻の実技上達を示して始まった本編は、
受け手を完全に置いてけぼりを食わせる格好。

志麻とやよいの対戦では、実力の程がよく分からない者同志が対戦という構図から、
結果が示されてもその疑問は解けないという感じですし、
そこへ「明日は勝つ(意訳)」というやよいの台詞や、
レイラ先生の「(予科生が)天狗になる頃」の台詞は空しく響いているといった感。

肝心の対戦そのものの方はというと、
志麻とやよいの対戦シーンをわざわざ省略したり、
ルールの説明を事実上小田原対ジョイ、ピエール対光太の実際の対戦で行うなど、
外連味たっぷりの演出が受け手をうんざりさせます。

ルールの説明などは、これまでの本編で散々コメディ演出をしているのですから、
落書きのようなイラストのビアンカを登場させて行えば良かったはずです。

「再入学者のやよいはすごい。それに勝つまでに成長した志麻もすごい。
で、やよいは意志がしっかりしているので次戦の対本科生戦に勝利するが、
志麻は天狗になっているので本科生(あやか)に敗れ未熟さを悔いる」
作り手の演出意図はこんなところでしょう。
ですが、そこに至るまでの積み重ねが何もないのでは作品として成立していませんでした。

志麻が敗れた後、「落ち込んでるだろう」と光太が「二人の秘密の場所」にやってくるも、
そこに志麻はいなかったというシーンはセンス良く出来ていました。
志麻に対する光太の思い、今現在の二人の関係のほどを上手く表現できていると思います。
各話に散りばめられている光太と志麻のシーンだけは、
まるでそこだけ監督が作ってるかのような計算された作りになっています。

脚本:小出克彦 絵コンテ:水島精二 演出:うえだしげる 作画監督:相坂直紀

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2003.11.06第26話(最終回)「きらめきはこえ」

全話の評価 ★★★ 公式のあらすじ

志麻たちのがんばりによって、人類に危機をもたらしたコズミックフラクチャーが予定通り消滅する、という話。

後述するシリーズの大筋もそうですが、特に人間の内面的部分に関する描写が終始ご都合主義でした。

志麻が能力を開花させていくところを中心に描いた前半については、前半各話の批評を参照のこと。
後半では、能力的な壁につき当たった志麻が強情をはったことが原因で、彼氏になった光太とギスギスした関係を続けつつ人類最大の危機という局面にむかっていきます。
光太に対して強情な態度をとり続けたり、ステロタイプな恋愛観を見せるのは部分的に見れば別に問題ないのですが、
自分の能力に対して、また割と仲良しだった光太に対してもマイペースののんびり屋だった前半と合わせると、
まるで別人かと思える程、整合性が全くとれていません。

光太は光太で、前半は志麻に対して保護者並みの理解力を示していたのに、
志麻の彼氏になった途端に女性の心理が理解できない、理解しようとしない普通以下の男の子に成り下がってしまっていて変です。

友人のアリサ、弥生、あきらの三人も、親身になってみたりケンカしてみたりと、一見リアルな描写に見えなくもないですが、
よく見ると、それぞれの状況における役割以外の描写が晶を除いて全くといっていいほどなく
(例えばアリサ。プライベートな描写は? 恋話のひとつもないのは何故?)、
実は作り手の都合によって動かされる駒程度の存在に過ぎません。

大、ピエール、ジョジョの男性陣は、志麻に対して「男の友人たち」で括れる軽めの存在だったこともあり、
恋愛ネタに関しての三人のかけあいなどはリアルなものになっていました(裏を返せば女性が全然リアルではないということ)。
あと、最初から我が道を行く感があった晶の人物描写が割とできていたのと、青臭いロマン派でお調子者のジョジョのキャラクターが立っていたのとで、
ジョジョと晶のサイドストーリーでの、この二人による恋愛の「らしさ」が出ていて楽しめたのが救いでした。

佐藤竜雄監督作品の共通点「予定調和」

本作の放送に「学園戦記ムリョウ」の地上波放送と、
この半年は佐藤竜雄監督二作品(CSでは「機動戦艦ナデシコ」もあり)を同時に見てこられたわけですが、
どちらも受け手の評価が二分しているように感じられます。
その理由は、作品の「予定調和」的構造にあると思います。
二作品に共通することとして、仙人あるいは予言者のような達観を見せる人物が多いことが挙げられます。

本作では、リチャード、カールの重鎮が象徴的存在で、「ムリョウ」ではムリョウを筆頭にジルトーシュ、山本忠一先生、真守百恵、津森他多数挙げられます。
ひとたび何事かあって「さあ、これからどうなる?」というとき、
これらの人物が決まって「大丈夫。彼等(主人公たち)なら、できる」
とかなんとか言って、先の明るい見通しを与えるのが監督の真骨頂です。
その後、いかなるスペクタクルが待ちかまえていようと、スリル・サスペンスという部分については「終わって」しまってます。

野球にたとえてみれば1点ビハインドで迎えた9回裏二死二三塁の局面で、強制的に三塁ランナーをホームインさせるようなもの。
「同点あるいは逆転できるか。はたまた後続を断たれて敗戦か」と緊張感で盛り上がっているのに、
勝手に同点にされてしまって、あとは勝ちにいくだけ。
野球ならまだ盛り上がれるところですが、
アニメだと先が分かり切ってる「水戸黄門」みたいなもので、緊張感が一気に萎えてしまうのです。

それでも二分した評価の一方、即ち楽しめる人がいるというのは、
予定調和な「水戸黄門」が長らく続いているのと同様、アニメにおいてもこういう需要が存在したということでしょう。
人物描写がいい加減なのは頂けませんが、「水戸黄門」は好みの問題なので需要があるのなら、それはそれでいいのではないかと思います。

脚本・絵コンテ・演出:佐藤竜雄 作画監督:高見明男

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更新:2003-11-10 作成:2003-06-09 文責:ごま(goma)
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