そらが空中ブランコを使って行われた「人魚姫」のオーディション挑戦に失敗し、同時に生じた恐怖心を克服する、という話。(→公式のあらすじ)
録画し忘れで現在第5・7〜9話を視聴したところです。
「サーカスでもない、ミュージカルでもない、マジックでもない」というカレイドステージのふれこみは、
裏を返せばそれぞれの良い所取りをしたということで、
現実的不可能を可能に見せるアニメーションならではで且つ独創的な試み。
全体の内容としては主人公の苗木野そらが単身アメリカに乗り込んで入団した、
エンタテインメントの最高峰たるカレイドステージのトップスターを目指すというサクセスストーリー。
ただし各話のつながりを緻密に計算し、スターへの階段を上っていく様子をリアルに描くのではなく、
ひとつひとつ表れる壁をその都度乗り越える一話完結のストーリーを積み重ね、
受け手は各話におけるエピソードを、それぞれに、気軽に楽しめる作品になっています。
映像では、ふっくらとしたキャラクターデザインが目を引きます。
この年頃の女の子の等身大な感じがよく出ていますし、
カレイドステージという舞台に必要な躍動感の表現に貢献できていて好印象です。
さて今回の話ですが、物語面では現実と非現実の織り交ぜ方に上手さを感じさせます。
クライアントのケネスがオーディションの前倒しを強行するところは
そらが場の雰囲気の流れによって挑戦者になる為の演出で、それ自体は非現実的なのですが、
ケネスの「ここにはレイラ君しかスターはいないのかね?」という台詞がそれを上手く打ち消していました。
そらが復活への特訓を続けるところでは、
カンフーマスターによる指導という非現実と鉄棒による練習という地道な現実を交互に映すことで、
地道な練習という単調なシーンでの上達ぶりをカンフー特訓の成果で示し、
逆にカンフー特訓の嘘臭さを地道な練習が打ち消すという相互に補完する効果を出していました。
映像面で一番良かったのも、やはり復活への特訓シーン。
そらが鉄棒の練習で失敗してマットに叩きつけられるところでは、
その瞬間、水に落ちる音、水中の泡の映像、溺れるようなそらの台詞に切り替えることで、
先のオーディションでの失敗をフラッシュバックさせる心理描写になっていたのが上手い演出でした。
カンフー特訓ではキャラクターの柔らかな体の動きがコミカルで面白かったです。
あと、止め絵の使い方が秀逸。
オーディションの「間に滝の流れる空中ブランコ」という舞台装置の凄さを
「えぇっ! えぇっ! えぇ〜っ!」の絶叫に合わせた3つのカットで説明しているところや、
そらに対するユーリの人工呼吸(=キス)にショックを受けたケンの様子を、
そらの病室の外に立ちつくすケンのカットに、「それを見たケンがね(マリオン)」
「そうそうケンがね(ミア)」「ケンがなぁ…(アンナ)」の台詞を被せるところが良かったです。
本作では原案・監督を務める佐藤順一作品では、
これらの止め絵の他にキャラの等身を変化させるデフォルメによる漫画的な表現が秀逸で、
本作においても今後注目したいです。
気になったのは以下の3つのシーン。
まずブランコから落ちてあわやセットに激突というそらを助けようとユーリが駆け上がるところ。
まるで忍者のごとく、あまりにも俊敏な動きが嘘っぽくて興ざめです。
むしろ、もっと早い段階でそらの失敗を予測して落下点に移動している、という表現の方が良かったと思います。
それから2度目のオーディションでそらが目隠しをするのも演出としてやりすぎ。
そしてこの時ブランコを掴みそこねたリカバリーとしてカンフーばりに回転するのも、
物理的に逆方向への回転で不自然すぎ。カンフーも余計な描写でした。
身体を前転させる回転から脚(膝の裏)でブランコを引っかける方がリアリティが出たと思います。
脚本:中瀬理香 絵コンテ・演出:鎌仲史陽 作画監督:飯島弘也、高品有桂
コメディアンとして大成するために家を捨て音信不通となっていた父が、ステージ近くのコメディシアターに出演する、という話。(→公式のあらすじ)
舞台劇っぽいクライマックスに吉本新喜劇のようなコテコテの人情話という印象も受けましたが、
工夫は凝らされており、じっくり見て楽しめる一話でした。
何よりすごかったのは「すごくないお父さん」の描写として、
ジャックバロンの面白くない芸が、芸として成立していたところ。
受け手も一緒に引いてしまうほどリアルに出来ていて、
単なる人情話にドラマとしての厚みが加わっていたと思います。
一方、アンナとのやりとりでは洒落が利いていて面白い芸になっていたのもリアルで好印象。
作り手(脚本でしょうか?)が手を抜かずにきっちり作り込んだということを感じさせます。
演出としての注目は、アンナがコメディシアターの出演者をチェックしているという一幕。
「いつかお父さんが出演するかもしれないから」とミアに指摘されたアンナが
「まあ…それもないこともないけど」と否定的な発言をしつつも少し赤面するのは、
実はミアの指摘の通りであり、強がって第三者的にふるまっているという描写。
「よくあること」と言いつつ、十年間会えないかったことで傷ついていることの裏返しということが分かります。
この時のミアの台詞の「いつも」という部分にも、
アンナがずっと父のことを思い続けていたということが示されています。
そしてコメディシアターに来たときのアンナの花束の描写。
花束を机の下でもっているのはアンナの照れ隠しという表現。
そして、その花がスズランなのは、父が家を出るときの見送りにアンナが持っていたのと同じ。
即ち、これもアンナが父のことをずっと思っていたという表現になっています。
どれも少々分かりにくいと言えるほど淡泊ですが、じっくり見て楽しめる演出になっていました。
タロットカードを出したフールが「いらぬお節介…」と言い出すも隠れた良い演出。
アンナの代わりに待ち合わせのレストランにやってきたそらが、
自分のことを「お節介」と言うことの唐突さを緩和し、
自分の境遇に照らし合わせて泣き出すという、演出上の必然という展開へつなげています。
あとクライマックスでアンナと父が抱擁を交わすところで、
もらい泣きするポリスのコミカルなカットに切り替わるのも良いセンス。
シリアスになりすぎて話が重くなりそうなところを本作の雰囲気らしく上手くまとめていたと思います。
人情話でダイナミックな映像はありませんでしたが、
その代わりということでしょうか、
カレイドステージで見つかって逃げるアンナの父と追うそらのシーンで、
よく動いていたのがコミカルで面白かったです。
脚本:平見瞳 絵コンテ:玉野陽美 演出:西山明樹彦 作画監督:福島豊明・鈴木雄大
空達が臨時の出演で好評を博した遊園地のアトラクションの契約を得るも、謎の仮面スター出演を強く要請されて、という話。(→公式のあらすじ)
仮面スター登場後のアクションシーンが最大の見どころ。
塔の梯子から落ちそうになる兄妹を救出する前後で全く異なる演出に注目です。
救出する瞬間以前の映像では、手前から奥、奥から手前と奥行きを重視した構図。
スピードのある動きにシリアスなBGM、風を切る効果音で緊迫感を強調しています。
特に空や仮面スターが手前にくる映像では、視点の最前で目の前を横切る動きにボカシを加えて迫力を出していました。
一方、兄妹を救出した後の映像では、真横から見た構図。
優しげなBGM、効果音は加えず、スピード感のない動きや止め絵を美しく決めることで、優雅さを強調していました。
仮面スター登場を兄妹の危機の後にしているのも上手い演出です。
空達や観客、その場の全てのキャラが待ちこがれ、受け手も注目していた仮面スター登場を、
兄妹の危機的状況を先に描いてからにすることで、そのインパクトを抑え、
ラストの「仮面スターの正体は、やっぱりレイラさん以外に考えられない。(中略)いつか仮面なしで一緒にステージに立ちたい」
という空の台詞をより強く受け手に印象づける効果となっていました。
この兄妹の使い方も絶妙。
まず「(違約金により)人生の終わりまであと30分」と落ち込む空達を元気づけ、
より良いステージへとモチベーションを高める役、
そして塔の梯子に昇る行動からくる危機から、空と仮面スターの危険なアクションという緊迫感を演出する役と、
自然な形で見どころを作っていました。
悪い顔が描かれた風船だけを潰す、というミアによるステージ演出も、
ちょっとした一工夫というリアリティと観客を驚かすという二つの目的を両立し、
受け手をも驚かす良いアイデアだと思いました。
あと脇役キャラの使い方の上手さも本作ならでは。
「奥の手」と言って雨乞いをしたり、「(違約金を)一生かけて返すつもりで気持ちを大きくもてば、へっちゃらぽ〜んよ」(この時のエコーの使い方も良い)
というコミカルなサラのキャラクターは過度に深刻にならない要素として機能していましたし、
シャーロットとジュリーによる「(今のカレイドステージが)負けてんじゃん」「(今のカレイドステージは)インチキっぽい〜」
という恐れ知らずな会話がユーリの怒りを間接的に表現しているところなど、随所で唸らせます。
脚本:中瀬理香 絵コンテ:筑紫大介・佐藤順一 演出:筑紫大介 作画監督:金崎貴臣・福島豊明
全話の評価 ★★★★ 公式のあらすじ
そらとレイラによる「幻の大技」のステージ本番、という話。
「幻の大技」に至るまでからエピローグまでの話の組み立てが完璧と言えるほど素晴らしく、
そらとレイラへの感情移入はもとより、登場キャラや観客と一緒に世紀の一大イベントとして楽しませることができていました。
散々渋っていたフールが遂にゴーサインを出すことから始まる本編。
まず最初に、戻ってきたカロスの下を去っていた団員達、舞台設営の様子、練習風景と、
流れるように描かれる本番直前の描写が本番前の緊張感と期待感を大いに盛り上げています。
そしてユーリによるレイラの父の説得シーン。
ユーリの説得が今回のカレイドステージが世紀の一大イベントであることを代弁。
ただ前回までのユーリの人物描写が今ひとつで、台詞の重みが台詞通りとまでいかなかったのが残念なところ。
ロゼッタにそらの練習風景を見せて驚かせるところは、
特訓以後のそらの成長ぶりを示しつつ、技のすごさの期待感をアップさせる演出。
ここでは最初の練習風景の使い回し映像となっていますが、
そらの汗を流線に見せることで使い回しとは思えない新鮮さが出ていて良かったです。
本番当日の控え室。
そらの「もしフールに認められてなかったら?」の問いに対するやりとりという一幕では、
そらとレイラの完成されたパートナーシップと同時に、
「失敗して死んでも構わない」ではなく「失敗を恐れない」というフールの設定した条件のクリアできた二人を描いていました。
そして今回何より「すごい」と感じさせたのは、本番直前、レイラの傷の手当をするシーン。
「幻の大技が成功したら、またお客さんが戻ってきます(そら、明るい展望を語る)」
「そうね(レイラ、どことなくそっけない返事)」
「そしたらまた、(※)素敵なステージを作りましょうね(そら)」
「(目をそらしつつ聞いているレイラ)」
この会話の※の部分に挿入されるケイトの後ろ姿が屈指の演出。
後に出てくる「もうカレイドステージに立つことはできないわ」という展開を示唆しており、
受け手は幻の大技の成否に加えてレイラの身の安否で緊張感が更に増すという仕掛け。
それをほんの僅かな時間のこのワンカットで何気なく描写したのは見事という他ありません。
佐藤順一演出の神髄を見たような気がしました。
で肝心の幻の大技ですが、
技の内容自体は確かに「すごい」で、幻のふれこみで数話引っ張っただけのことはありましたが、
映像の方が追いついていなかったように思います。
止め絵を回転させたカットもそうですが、
枚数を使ったカットの方も同一視点によって動きがパターン化していたことで安っぽく見えてしまいました。
背景を含めた画面全体の構成がシンプルだったのも安っぽさを際立たせてしまいました。
本編の出来なら、ケレン味たっぷりに描いた方がまだマシだったと思います。
もっと枚数を使えていたら、そらとレイラの動きを視点を変えながら見せることも、このスタッフならきっと可能だったことでしょう。
そう思うと残念でなりません。
最後の締めくくりは、
レイラが常々語っていた「最高のステージ、最高の喝采」が受け手の心にジーンと伝わってくるもの。
レイラの思いがそらに託されたというのも、良い終わり方でした。
脚本:平見瞳 絵コンテ:佐藤順一 演出:福多満・筑紫大介・唐戸光博 作画監督:渡辺はじめ・追崎史敏