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アニメコラム集『プリンセスチュチュ』 各話の主なスタッフデータ

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第7話「からす姫」

放映日2002年 9月27日

オープニング ナレーション

昔々、一人の子供がおりました。
子供にとって世の中は不思議なことばかり。
「どうして」「なぜ」「どうやって」。
1つの謎が解ければ、2つの謎が生まれます。
2つの謎が解ければ、4つの謎が生まれます。
4つの謎が解ければ、数え切れない謎が・・。
いつしか子供は、謎に飲み込まれてしまいました。

レビュー

みゅうとに「チュチュが怖い」と言われて、あひるが挫折しかける、という話。

実はみゅうとのその台詞は、「心のかけら」を返してもらうときの温かい気持ちが、
その後チュチュがいなくなると消えてしまうこと、という真相でした。
前回台詞を略しすぎで、ちょっとずるい演出ではないかと思いました。嫌味はないですけど。

今回、るぅがカラス(プリンセスクレール)であることがハッキリしました。
私はカラスはるぅなのか、ふぁきあなのか分からなかったのですが、
るぅがカラスということで、ふぁきあは剣だという風に理解できました。
分かりにくかったのは、読解力不足なのか、作り手の意図なのかは分かりませんが、
謎という意図であったとしても心地良い謎解き描写で、不満はありません。

人間に取り入ったかけら、幽霊や精霊ときて、
前回同様、今回も川底にあった「かけらそのもの」を取り戻すところから、
カラスの出現によってかけらが奪われるという急展開を見せます。
第3話で書いた、戦闘の代わりの「踊り」によってかけらを取り戻す
という単純な構図は読み違いで(すみません)、
それだけに終わらない奥の深い展開が心地よいです。

見どころとしては、あひるの挫折が思いの外であったドロッセルマイヤーが、
「チュチュになるのをやめる」というあひるを、なんとかして説得しようとするところ。
「時の抜け穴」というアイテムを使って、あひるの前に姿を現す展開は意図的な楽屋落ち。
これは、「愉快愉快」「面白いから」「早々実に愉快」などと
無責任な傍観者を決め込むドロッセルマイヤーの台詞によるあひるとの会話も含め、
「お話と本当が混ざり合う」作品世界だということを、
受け手の心に留め置くためのものだと思います。
この後のシーンで、「後は頼むぞ」というドロッセルマイヤーの台詞を前置きして、
エデルが現れるところも今後のちょっとした伏線なのでしょう。

映像的にはクライマックスに登場するプリンセスクレールが見どころ。
悪を象徴するかのごとく黒い姿でありながら、
踊りや動きが美しく描かれていて、なかなかウットリさせられます。
「あなた(チュチュ)には何もあげない。何もさせない」という台詞は韻を踏んでいて、
いい決め台詞になっていたと思います。

この時、みゅうとに戻るはずの「知りたいと願う心」が強奪されるのですが、
みゅうとに心が戻らないことで、みゅうとと同時に受け手にも真実にはまだ近づけない
ということを示唆しているのではないかと感じさせられました。

(ラストのナレーション) よろしいよろしい。新しい災いの種の出現。深まる謎。
そして苦難と悲劇の待ち受ける道を選んだあひるに、
惜しみない拍手を送ろう。へっへっへ・・

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作成:2002-09-18 文責:ごま
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