昔々、一人の子供がおりました。
子供にとって世の中は不思議なことばかり。
「どうして」「なぜ」「どうやって」。
1つの謎が解ければ、2つの謎が生まれます。
2つの謎が解ければ、4つの謎が生まれます。
4つの謎が解ければ、数え切れない謎が・・。
いつしか子供は、謎に飲み込まれてしまいました。
みゅうとに「チュチュが怖い」と言われて、あひるが挫折しかける、という話。
実はみゅうとのその台詞は、「心のかけら」を返してもらうときの温かい気持ちが、
その後チュチュがいなくなると消えてしまうこと、という真相でした。
前回台詞を略しすぎで、ちょっとずるい演出ではないかと思いました。嫌味はないですけど。
今回、るぅがカラス(プリンセスクレール)であることがハッキリしました。
私はカラスはるぅなのか、ふぁきあなのか分からなかったのですが、
るぅがカラスということで、ふぁきあは剣だという風に理解できました。
分かりにくかったのは、読解力不足なのか、作り手の意図なのかは分かりませんが、
謎という意図であったとしても心地良い謎解き描写で、不満はありません。
人間に取り入ったかけら、幽霊や精霊ときて、
前回同様、今回も川底にあった「かけらそのもの」を取り戻すところから、
カラスの出現によってかけらが奪われるという急展開を見せます。
第3話で書いた、戦闘の代わりの「踊り」によってかけらを取り戻す
という単純な構図は読み違いで(すみません)、
それだけに終わらない奥の深い展開が心地よいです。
見どころとしては、あひるの挫折が思いの外であったドロッセルマイヤーが、
「チュチュになるのをやめる」というあひるを、なんとかして説得しようとするところ。
「時の抜け穴」というアイテムを使って、あひるの前に姿を現す展開は意図的な楽屋落ち。
これは、「愉快愉快」「面白いから」「早々実に愉快」などと
無責任な傍観者を決め込むドロッセルマイヤーの台詞によるあひるとの会話も含め、
「お話と本当が混ざり合う」作品世界だということを、
受け手の心に留め置くためのものだと思います。
この後のシーンで、「後は頼むぞ」というドロッセルマイヤーの台詞を前置きして、
エデルが現れるところも今後のちょっとした伏線なのでしょう。
映像的にはクライマックスに登場するプリンセスクレールが見どころ。
悪を象徴するかのごとく黒い姿でありながら、
踊りや動きが美しく描かれていて、なかなかウットリさせられます。
「あなた(チュチュ)には何もあげない。何もさせない」という台詞は韻を踏んでいて、
いい決め台詞になっていたと思います。
この時、みゅうとに戻るはずの「知りたいと願う心」が強奪されるのですが、
みゅうとに心が戻らないことで、みゅうとと同時に受け手にも真実にはまだ近づけない
ということを示唆しているのではないかと感じさせられました。
作成:2002-09-18 文責:ごま(ラストのナレーション) よろしいよろしい。新しい災いの種の出現。深まる謎。
そして苦難と悲劇の待ち受ける道を選んだあひるに、
惜しみない拍手を送ろう。へっへっへ・・