第4話〜第6話『プリンセスチュチュ』アニメコラム-アニメ討論室-
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アニメコラム集『プリンセスチュチュ』 各話の主なスタッフデータ

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第6話「夢見るオーロラ」

放映日2002年 9月20日

オープニング ナレーション

(ナレーション)魔女の呪いで永遠の眠りにおちたお姫様を目覚めさせようと、
一人の若者が現れました。
ところが誰かがささやきます。
「姫を眠りから覚ますなど、なんて残酷なことをするのだろう」。
姫が望んでいるのは「目覚めの口づけ」ではなく、
このまま永遠に眠り続けることなのでしょうか。

レビュー

巡業バレエ団があひるの住む街にやってきた、という話。

冒頭のナレーションが今回は非常に具体的なものなっています。
人物の構図は、若者=あひる、姫=みゅうと、誰か=ふぁきあ、
魔女=ドロッセルマイヤー、といったところでしょうか。
悲劇の結末(?)に突き進む展開が、問いかけという形で提示されてます。
ラストのドロッセルマイヤーもこの展開に、いつにもましてうれしそうでした。
ますます今後の展開が楽しみになってきます。

本編は、巡業バレエ団「エレキ座」の花形であるパウラモニが主役。
演目「眠れる森の美女」のなかで、目覚めてもまだ夢見るというオーロラ姫の役柄に絡めて、
夢が潰えることと同義である才能の限界の自覚によって
演じることに恐怖するパウラモニの姿が描かれます。
実はこのパウラモニの恐怖は、王子の心のかけらによるものだったのですが、
舞台袖に現れる王子の姿で、パウラモニの心の隙間に入り込んだことを表したのは上手い演出。

今回はかけらが取り入った人物を説得するのではなくて、
逃げていく王子をあひるが追いかけていくというのが飽きさせない工夫。
作りとしては、パウラモニやあひる&ふぁきあのにバレエシーンを費やしてるからなのでしょうが、
かけらが「恐怖」なので、王子が逃げていくという展開に説得力があります。
また、かけらが元(みゅうと)に戻ることは、
「物語」としては王子として再びカラスと戦い続けさせられることを意味し、
その意味においての恐怖も表しているのではないかと感じました。
チュチュに剣で斬りかかるかけら(王子)の描写がそれを表現しています。

その他の見どころとしては、
まずエレキ座の座長が電気ウナギになっているという描写。
「座長がいつまにか電気ウナギになっている」と団員のパウラモニたちに語らせることで、
街の外からきたエレキ座が影響を受けてしまっている、
「お話と本当が混ざり合う」この街の異常な特性が表現されています。

また、あひるが悩みをぶちまけたときのエデルの
「かわいそう? かわいそうなのはみゅうと、るぅ、それともあひる?」
「夢を見続ける人と、夢から覚めた人はどちらが幸せ?」
という台詞は、ナレーションと同じく本作のテーマの問いかけとなっていました。

それから、パドドゥを踊るあひるとふぁきあの描写は、
みゅうとやるぅと踊ったときと違ってあひるの下手さが際だっており、
ふぁきあの思いやりのなさや、あひるへの敵意が表現できていたと思います。

あと、細かいところでは生徒代表を選抜するときの客席の描写。
「誰が踊る?」と、全員がひそひそやっている中、るぅだけが誰とも話さないことで、
友人のいないるぅの性格がさりげなく描かれていました。

今回、猫先生絡みでコミカルなネタがいつも以上に盛り込まれてましたが、
悲劇に突き進む本編とバランスをとるためだと感じました。
若干しつこいきらいもありましたが、
話の流れを断ち切るようなことはなく楽しめました。

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第5話「火祭りの夜に」

放映日2002年 9月13日

オープニング ナレーション

昔々あるところに幸せな王子がおりました。
辛い過去も知らない、辛い未来も知らない、幸せな王子。
あるとき王子は温かいぬくもりを手に入れました。
けれどもぬくもりが照らし出したのは、
安らぎだけではなくて、不幸も辛さも寂しさもでした。

レビュー

図書館の一室に閉じこめられたみゅうとが、その地下にランプの精に取り込まれる、という話。
今回プリンセスチュチュの対戦相手は捨てられたランプに宿る精。
その踊りのシーンが一番の見どころのはずですが、
今回はその後にみゅうととるぅが踊るシーンがあったためか、動きが乏しいように感じました。
ランプの精の姿はゆらめく炎を模していてよく描けていたと思います。

ランプの精が「チュチュを照らしてあげたい」と言う台詞から、
ラストのドロッセルマイヤーの「慈しみの心を取り戻した王子が照らしたのはあひるの不幸せ」
と「照らす」をキーワードに話がまとまっているのも面白いです。

少しずつ謎が明らかにされていく本作ですが、
ふぁきあによって「みゅうとが物語の中の王子」と明言されたり、
るぅもそのことを知っていることが明らかになったりと、
今回も色々と散りばめられてました。

そして謎が明かされる一方で「大カラスの正体は」という謎は深まる一方で、
この辺の作り方は見事だと思います。

本編の方では、最後遅れてきたみゅうととるぅが二人きりで踊って
めでたしめでたしかと思いきや「慈しみの心」を取り戻したみゅうとの姿に、
るぅが驚いて走り去っていってしまうというナレーションにきっちり沿ったオチでした。

そういえば今回みゅうとはチュチュに「ありがとう」と言ってなかったり、
ランプの精の台詞があひるの立場にシンクロするものであったり意味深さを感じさせました。

一つ難点をあげるとドロッセルマイヤーの台詞が聞き取りにくい時があり、
「おやおやこのまま永遠に闇の中かい」もそうでした。

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第4話「ジゼル」

放映日2002年 9月 6日

オープニング ナレーション

昔々、決してかなわぬ恋がありました。
でも、それだけで物語は生まれません。
恋の物語を紡ぐべき男は、もう世界にはいなくなってしましました。
恋はいつまでも悲しいままで、物語は生きています。
紡ぎ手のいなくなった物語は、その結末を求めてさまよっています。

レビュー

幽霊に連れていかれそうになったみゅうとを救う、という話。
動物・人間ときて今回は幽霊、と敵役のバリエーションがまず面白いです。
今回はジゼルに説明させることで、前回以上に敵役の内面描写を省略し、
その分をあひるとるぅのやりとりの時間に割いています。
省略するなら極端にという今回の割り切りの方が、前回よりは良いと思います。

今回の注目はるぅでしたが、個々の描写が画竜点睛を欠くという感じでスッキリしてませんでした。
まず踊りについて、練習中に転倒→駆け足であひるに放される→実は体力不足、
と受け手への謎を徐々に解明していくのがひとつの見どころでしたが、
練習の所では「体調不良?」という周囲の台詞を逆説的に入れる、
駆け足のところでは、引き離されていく様をきちんと描写する、
という風により丁寧な描写・演出をすれば分かりやすかったと思います。

次に第2話とうって変わっての、あひるに対するるぅの態度も流れからすると少し変。
みゅうと絡みだとは容易に推察できるのですが、気まぐれな性格という一面もあるので、
やはり心境の変化を本編で描写して欲しいです。

それから、幽霊に対抗してるぅが踊るシーン。
チュチュはともかく、るぅは踊ることに必然性がありません。
「そういう作品世界」と強引に納得できなくもないですが、
「私があなたのパートナーだから。そいつと踊っては駄目」
という台詞ひとつで踊りに必然性をもたせることができたのではないでしょうか。

さて、今回取り戻したかけらは「悲しみ」。
「悔しさ」「寂しさ」「悲しみ」とネガティブな感情ばかり集まってると思っていたら、
最後にきっちりドロッセルマイヤーからツッコミが入ってました。
今後の展開における何かの伏線なのでしょう。

あと、毎回先生が「結婚してもらいます」というのは
生徒に喜んで欲しいという気持ちを込めた冗談なのですが、
今回「悲しいお知らせ」という台詞により本編上で明確になりました。
公式サイトで知ってはいたのですが、
本編では分かりにくくなっているのが気になっていたのでホッとしました。

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作成:2002-09-18 文責:ごま
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