アニメコラム「あずまんが大王」中期インプレッション

アニメコラム集「あずまんが大王」

第26話「初めての卒業」他4本

放映日:2002年9月30日(月) 作成日:2002年10月04日(金)

卒業式を迎え、高校生活もこれでおしまい、という話。
ちよが初めての卒業式に感極まって大粒の涙を流すところや、
最後の最後でようやく合格にこぎ着けた暦など、一見すると、ごく普通の卒業式の一風景。
でも、よくよく見ると卒業後のそれぞれの展望めいた描写がほとんどなく、
「卒業してもみんな一緒ですよね」と、これまでの関係性の強調や再確認に終始するところが実に「あずまんが」流。

卒業式の割に湿っぽい演出が少なかったのは、
コメディ演出というより、本作の閉鎖性、モラトリアム性の重視ではないかと思われます。
その意味では、作品性の徹底がなされた最終回ということで評価できます(内容の善し悪しは別ですが)。

どこかのサイトがその作品性を「モラトリアム」と評していました。
正に言い得て妙で、つまるところ本作は、
モラトリアムや萌えキャラという免罪符による、不道徳で不条理なギャグ・コメディ
を描いたものだったと思います。
高校一年から三年までという時の流れはあったものの、
季節毎のイベントを描くための方便以上のものはありません。
言ってみれば「某サザエさん」みたいなものですが、
本作が特異なのは、智や谷崎先生の暴走などで、
明らかに人間関係に影響を及ぼしそうな不条理なネタでさえ、
次の瞬間には何事もなかったようにリセットがなされている、ということです。

本作の元々のファンである受け手は、不条理で過激なネタを
モラトリアムという閉鎖性や「リセット」による緩和で楽しんでいるということなのでしょう。
その姿は「ネバーランド」の子供たちである、とも言えます。
故、その終わりなき世界に「現実」という冷や水を浴びせかけて
作品世界を根底から覆してしまいかねない第19話が
ファンに非難囂々だったのは頷ける話でした。

とはいえ不条理で理解しがたいネタばかりかというとそうでもなく、
今回ネタとしては歩の目薬の差し方、映像面では木村先生の涙の流れ方など、
面白いシーンは少なくありませんでした。
客観的にも、個人的にも好きにはなれない作品ではありましたが、
こういう「普通」の面白さがシリーズを通して見るときの救いになっていたと思います。

第8話「おおさかの初夢」他

放映日2002年5月27日

お正月。みんな、それぞれ布団の中で初夢を見ていた。
歩、智、榊、かおりが見たその初夢。
全てにちよが出てくるその内容とは・・

誰しも経験あると思うのですが、
現実において、他人が見た夢の内容を聞かされるのは実に退屈なものです。
夢を見た本人は自分の体験ゆえか、
その夢の不条理さを嬉々として熱弁するもので、聞かされる方はたまりません。

歩、智の夢を描いた1・2本目は、
そういう「聞かされる夢」を何の工夫もなく
(前にも書きましたけど、才能による感覚だけで作ってるのでしょう)
アニメ(作品)化したという感じで、
笑えない不条理さや、工夫のない欲望の具現化を見せられることは退屈この上なかったです。

(モラル上の問題を除けば)シリーズ最低の駄作になるかも、との思いが脳裏をよぎりましたが、
榊、かおりの夢を描いた3・4・5は一転して見られる作品になりました。
両者の違いは何かというと、
前者は「聞かされる夢」という枠を脱し切れてないのに対し、
後者は「見る夢」という形に感情移入できることです。
「ちよの父」「白馬に跨る榊」など、
非現実的な要素を本人と反対側に置いたことも効果を及ぼしたと思われます。

しかし、これらは夢の面白さというより創造の面白さという枠に納まる程度のもので、
結局のところ人間の見る夢のリアリティを追求した上で、
創作としての面白さを両立させるのは、かなり無理があるのではないでしょうか。
もっとも原作者や制作サイドがそこまで考えて作ってるとも思えませんが。

(夢の中の)ちよの父、面白かったですが、
キャラクターの性格とか、配役の妙というよりも、
多分に若本規夫の演技のみによるもので、反則という気も。

第7話「おとぎの組」ほか

放映日2002年5月20日

文化祭を前に谷崎先生のクラスでは、出し物を決める話しあいが行われた。
お化け屋敷と喫茶店というありきたりな提案に納得しない先生により、
投票箱でアイデアを募ることに。
その結果、出し物は生徒の持ち寄りとオリジナル製作による「ぬいぐるみ展覧会」となった・・

相変わらずかけらも面白くない木村先生の絡みがあるものの、
今回はシリーズ中で非常に出来が良かった回だと思います。

歩の出番がやや控えめかな、という印象があった他は
智の暴走にも、ちよばかりが被害にあう、いつもの嫌らしさがなかったですし、
各キャラクターがそれぞれ持ち味を発揮しつつ絡む
というバランスが良かったです。

ネタ的には
「ぬいぐるみさんたちも友達がたくさんできてうれしいと思います」
に大受け。初めて腹の底から笑わせていただきました。

第1回から気になるテンポの方も良くなってきてます。
自分の印象としては
第2話(歩)まだ冗長 第3話(黒沢先生)まあまあ 第4話(プール)いい感じ
第5話(夏休み)冗長 第6話(体育祭)いい感じ
でした。

第5話は使い回しの方法が評価の分かれ目ですけど、
大した効果もなくスローテンポとの組み合わせが悪かったと思います。

中期インプレッション

放映日2002年4月から

あらすじ

原作は、あずまきよひこ。「月刊電撃大王」に連載された4コマ漫画のアニメ化。
女子高生(主に5人)と教師(主に2人)による、
ちょっと変でもあり、かなり変でもあり、普通でもある日常を描く。

レビュー

ストーリー面。
目につくのは、かなりな部分で「ネガティブな笑い」を指向しているところです。
「ねたみ・そねみ」を表に出すキャラクターを描くというところなどは、
人間の心の奥に誰しもが持ちうる感情を拾い上げているということでまだいいです。
しかし、ステロタイプな偏見や差別的なイメージを一般化という形にすり替えて
キャラクターメイクをしていることや、
その設定を踏まえた上での、ある種嘲笑的であったり弱いものいじめっぽい笑い
というのはいかがなものでしょうか。

具体的には、
「大阪さん」と呼ばれる転入生「春日歩」(出身地で呼ばれてうれしいですか?)。
一見長身グラマー・クールビューティ。でも「猫好きで乙女チック」という「榊さん」
(「見た目と性格のギャップ」、ネタとしてはよくあるですけど実は笑いでもなんでもない。
そういう人がいるというだけ。長身で乙女チックだと何か変なんですか?)。
他にも「谷崎先生」による、
飛び級で編入してきた「ちよちゃん」を妬んでのこき下ろし
(言った本人で完結する分には「ねたみの発露」はギリギリ許されるが、
「ちよちゃん」本人に投げつけられている点が問題)。
また「体育教師はみんな馬鹿」だと「黒沢先生」をこき下ろすところなど、
本作にはこういう「偏見を含んだネガティブな笑い」が随所に見られます。
普通、このような笑いを指向するときは、
強者の方をいたぶるとか、偏見的なイメージをそのキャラクターだけの特性として描くとか、
偏見の対象のキャラクターの方に感情移入させるなどしてフォローするものなのですが、
本作の場合、どれもなされていないので、
結果として作中のキャラも視聴者も偏見で笑い飛ばすという形になってしまっています。
もっとも今までにない、その笑いの形が受けている一因なのかもしれません。

これまでのアニメ本編を見渡しますと、
割り箸がきれいに2つに割れて自慢げな春日歩や、
大好きな猫にかまってもらおうとして猫に噛まれる榊さん
(この場合、猫好きという部分だけで笑えるので榊さんの造形は関係ない)など、
けして偏見のない笑いがないわけではない
(というか多い。そういうネタだと素直に面白いと思います)ので、
思うにこの作者は、
「ナンセンスな笑い」という範疇だけを意識的に指向し、
それを主にネガティブな部分で才能的に創造しているのではないでしょうか。
論理的な思考が働いていないがゆえに、
偏見・差別・いじめという要素を省みないキャラクター造形が出来てしまうのだと思います。
最も象徴的だったのは「しゃっくりを止める」回のオチを
5人のなかでの弱者たる「ちよちゃん」にもっていったところ。
あそこは「みよちゃん」や「ともちゃん」でも笑いがとれたところですし、
避けようのあるマイナスイメージは避けて欲しいと思います。

作画・演出面についてはまた次回。

中期インプレッション その2

放映日2002年4月から

今回は作画・演出面(要するにアニメーションとしての部分です)。
作画はどれをとってもすごく美しく、よくできていると思います。
何といってもまずキャラクター。
原作を少ししか読んでいない自分の目には
違和感が全くといっていほどなかったです。
そして本作ではキャラがゆっくりと動くことが多いのですが、
その際においても不自然さや違和感を感じさせることなく作られています。
これら、原作の単純な造形のキャラクターを描くことや
それを主にゆっくり動かす上で違和感なく描くことは
作画としてはセンスが要求されるところで、
本作のそれはお見事というしかありません。

またキャラクターが制服姿ゆえ色数が比較的少ないという点が
利点(?)のひとつしてあるものの、
影のつけかたや背景のグラデーションなど
デジタルをうまく使った作画という印象を強く受けます。

あとはずせないのはオープニング映像。
主題歌にあわせたテンポよい映像が
本作のナンセンス感を見事に演出しています。
特に後半の意味不明なキャラの動きは
アニメーション単体としてだけで十分楽しめる出来映えで、
オープニング映像として屈指の作だと思います。

本編の演出は、全編ゆっくりとしたキャラの動きで、
一言でいうと「のんびりとしたムード」
を全面に押し出したものになっています。

これは、物理的な作業の面では「動かさずにすむ」という、
制作側の都合にも合うというメリットも否定できませんが、
より重要な要素となる「テンポを間違えない」ということさえ
キッチリ押さえることができれば作品として成立できます。

ただ本作においては、
どこをとってもこのテンポが間延びしている感があります。
原作からのファンならば、
そのストーリーをなぞりながら楽しめる分、間延びを感じにくいのでしょうが、
客観的に見ると、制作側が「ゆっくりとしたテンポで許される」
という甘えが入っているのではと思われてなりません。
具体的には現状の1話5本から、もう1本増やすくらいが良いのではないでしょうか。

絵コンテをはじめ、演出そのものが単調なきらいも多々見受けられます。
オープニング映像と比較すればその差は歴然としています。
おそらく原作を生かそうとするあまり、
原作の特徴に合わせたり、或いは原作にあるコマそのままで
絵コンテを切ってるのではないでしょうか。

原作を大きくアレンジしたのが失敗すれば非難囂々でしょうし、
原作をより生かすという姿勢そのものは理解できるのですが、
現状は「原作の呪縛」にとらわれすぎている印象を受けます。
オープニング映像で見られるセンスの良さを
ぜひ本編に生かして今より更に面白くして欲しい
とアニメファンの観点から思います。

( 更新:2002年6月2日 文責:ごま )